2015年4月24日(八段語録2395)
自分を変える努力
道場生として、極真会館宮城県本部の門を叩いたならば、今までの習慣性のままの意識で稽古をしていくという愚かしい事をしてはいけないという事です。スポーツジムに通うような意識であったならば、百年経っても、今までと同じ習慣を継続するだけで、極真空手に触れた意義を見出すことができず、ただ悪循環が続くだけなのです。極真の門を叩くという事は、それ相当な覚悟が必要であると思うのです。そして、自分自身に変化をもたらさなければならないと考えるべきです。では、どうしたら極真の門を叩いて、今の自分から抜け出すべきでしょうか。これが課題であると思うのです。ただ強くなるという意識では、何の変化もないのです。
私の場合、極真の門を叩いたのが青春時代真っただ中だったので、純粋な気持ちでした。そして、幼いながら、これに全てを賭けようとしたのです。その時に自分に言い聞かせたのは、極真空手の修行をするからに、自分が変わらなければならないという固い決意でした。もちろん強くなるという事も意識しましたが、より頼もしい人間像を描いたのです。そこで、その決意たるや、酒もタバコも修行中は決して触れまいと決めたのです。もちろん、女性にうつつを抜かすようでは、修行にならないという気持ちが強かったのです。当時は、毎日修行しました。体作りの為に、道場に通わない時はウエイトトレーニングと椎間板ヘルニアを発症していましたので、プールでの水中歩行で回復を図ったのでした。
ところで、私はどのように自分を取り扱ったかというならば、目標を高く求めたのでした。それは、本当の極真選手になって、自分の根性を叩き切って、今の自分では無い自分を形成しようとしたのです。稽古に通うのは、ものすごい戦いでした。弱い自分であったので、良きにつけ悪しきにつけ、先輩に稽古をつけてもらうのでした。当然道場の敷居は高くなって、行きたくないという気持ちが強くなったのです。決して稽古は楽しいものではなくなったのです。そこで、私の発想は、謙虚に自分を否定して、先輩達の持っている内容を継承しようとしたのでした。つまり、先輩に負けないほどの内容の結実を身に着けようとしたのです。その修行が七年の歳月に及んだのですから、自分を褒めてしまいます。そして、極真空手の道場生として一人前に認められた黒帯を締めた時には、感慨深いものがありました。
このようにして、池袋の本部で大山総裁に認めて貰った時の感動たるや、今でも鮮明に思い起こすことができるのです。私が極真の修行をして七年目の春という事でした。そこからの選手時代は、結構道場では強くなっていましたので、自分との戦いの連続でした。何度も全日本に出場する中で、自分を鍛えたという事です。そして、輝いた、選手時代も三十四歳の時に、心身共に限界に来ていましたので、現役引退という事で、更なる立場を願ったのです。それが指導者としての道という事でした。指導者になってみると、今度は内容の無さに自分が恥ずかしくなってしまいました。そして新たなる戦いが始まったのです。それが学問であったり、指導者としての人格面だったりしたのです。そして、未だに続いているのです。この道で、人は変わるという事を私は実証したという事なのです。