2015年4月23日(八段語録2394)
良き母

 我が家の流れをちょっと顧みるのですが、母が子供達を分け隔てなく対処してくれているので、三人兄弟の三家庭が睦ましいのです。もうすでに八十六歳という年齢からくるのでしょう。どの子供にも愛情をかけているという事なのです。もちろん、親父の気持ちに寄り添っている母だから、我が家の将来を一致させて、連結しているということなのだと思います。兄弟三家庭が一心一体の関係で、自由に行き来することのできる関係を築いてくれている母に感謝です。そういえば、母は父と共に、いつでもどこでも付いていったのでした。特に還暦を過ぎてからは、山へワラビとりに行ったりしました。また車でドライブ兼ねて温泉にも良くいっていました。本当に子供から見ても仲の良い夫婦でした。父と愛情という一点で結ばれているようでした。そのような環境を創るために、根白石に別荘まで購入して、母との暮らしたのでした。父の体の調子が悪くなって、二年余りで、我が家に戻ってきたのでしたが、仲睦ましい関係でした。
 母は父の事を良く話してくれます。仙台の泉ヶ岳という山があるのですが、そこから近くに母の実家の金森があるのです。父は、リヤカーに母を乗せて、仙台市内まで、汗だくになりながら、連れてきたのだそうです。二十五キロはあるのです。もうこの女性を離さないようにしたいという気持ちだったのでしょう。お見合いでしたが、父は一目ぼれというところだったのす。その一目ぼれというところは、私が受け継いでいるようです。愛情の一点で結ばれて私を初め三人の兄弟に恵まれたのです。そして、今兄弟三家庭になって、自動的に全体が結ばれる環境を母は知ってか知らぬか分かりませんが、采配を振るったという事です。そのような母に対して、子供の頃は厳しくしつけられたものでしたが、今こうして、兄弟関係が円滑なのも、母の心意気というところにあると思うのです。
 ところで、母には私的な欲がないのです。夫と子供達の為に苦労を重ねて、築いてきた財産をも、惜しむことなく三人の兄弟に分け与えてくれたのです。そして、自分はというならば、父と建てた下宿屋の一室で満足しているのです。確かに、家を守るために、母は下宿屋の女将として、朝から晩まで働き詰めでした。買い物も、バーゲン品を中心に、なるべく安すく購入するために自転車で仙台市内を動き回っていました。それでもなお節約志向が強かったのです。畑を河川敷に作って、自家栽培を始めたのです。なるべくお金を使わずに節約して、結果的に子供達の為にあくせく働いたという事でした。三人の子供にも大学に通わせ、恥ずかしくないように育ててくれました。そのような母を誇りに思うのです。今は、嫁の千順さんに、下宿や家事の一切を任せて、御隠居暮らしのようですが、実に楽しくデーサービスに行っているのです。
 結果的に、母の姿勢は、夫の為と子供達の為だけに生きたという事なのです。自分の身なりも気にせずに、野良仕事に精を出しながら、裸一貫から立ち上げた我が家ですから、誇りを持っている母であることに間違いはないのです。今は母に対して、感謝の何物もないのです。そして長男として母親を大切に世話できるという事に自負心さえ抱くのです。そのような母に何の恩返しもできない私であるのです。