2015年4月15日(八段語録2386)
目指すべき事
極真空手が目指すのがオリンピックであるべきでしょうか。伝統空手と強調して、日本での種目にしようとしていますが、それには、ちょっと苦言を呈するようになると思います。というのも、お互いの壁を崩さなければならないのです。伝統派と極真のつまらない主張を止め、お互いの意見を調整しながら、空手を広めていく方法を模索すべき時期に来ているのは確かです。そのような具体的検討をしなければならなければという事です。お互いの理解、融合を通じて、立場の葛藤を克服することが急がれます。だからと言って、オリンピックを目標とするのは、空手の本質からするならば、如何なものかとも思うのです。というのは、伝統空手と極真空手の伝統を尊重し、お互い融合しなければならないと思うのですが、それがなされていません。そして、お互い協力して助け合うようなレベルまで来ていないのです。さらに、世界に広がる空手道の使命を発展させるような一つの組織にはなっていないのです。このような現状では、オリンピック競技になる資格はありません。
さて、同じ武道の剣道の場合は、一つのルールに則って、お互い協力しながら、日本古来の伝統を守ろうとして、オリンピックには一切関心を示していません。これは、武士道の本質を追求して、競技だけにしないという意思が表れているように思われます。また、柔道の場合は、オリンピック競技になって久しいわけですが、講道館を中心に、伝統を尊重し、協力しあって、世界に広がりを見せています。剣道と柔道は、同じ武道ではありますが、オリンピックに対する取り組みは全く違います。それにしても、剣道も柔道も一つの団体でまとまっているように見えるのです。ところが、空手界に関しては、バラバラという事です。派閥がありすぎて、一つの団体にはなりえないように思えるのです。さらに、空手界では、オリンピックを目指す空手の団体がいくつもあります。それでは、オリンピック憲章からして、競技参加できるという立場にはないという事です。
ところで、空手界として、もう少し、世の中に受け入れやすいような存在になれるように自助努力は必要になってくると思います。二つの目は、人間全体の為に存在しているし、四肢五体もそうですから、お互い強調して一つの団体にまとめ上げていく努力は必要であると思うのです。どうあれ、空手界は、武道教育に勤しむ団体であると思うからです。神仏を尊び、人を愛し、国の為になる人材を武道教育で育てるところですから、それなりに、まとまって欲しいものです。
それだけに、一つ目は、もっと世間に空手道を普及させることです。二つ目は、空手道の本質をわきまえて、指導者が責任を果たし、空手界に責任を持つことです。第三に、空手界の目的を遂行すべく、理想的な組織建設にあたるべきです。このような事に早急に取り組む必要があると思うのです。何か、競争して勝ったものが栄光を受けるような、勝者オンリー主義は正しくありません。一人一人が、豊かに暮らす社会を実現するための、精神的バックボーンとしての空手道でありたいと思うのです。どのようにしても、オリンピック出場へ向けてだけの活動をするならば、お先真っ暗な空手界になるのではないかと思うのでした。