2015年4月14日(八段語録2385)
逆境
極真空手の試合は、弁解の余地がないのです。勝ち負けがはっきりしているのです。辛い修行の道という事です。実際に試合では、主審も副審も判断するので、目に見える闘いという事です。何か抽象的で目に見えない闘いという事では無いのです。これは、観客にとっても少しのルールの知識があれば、理解することができるのです。そのようなはっきりする世界に生きるという事です。先駆け、「見える化」運動なのです。どうしても、武士道という事は、理解されないし、奥が深いといわれますが、それを明確にさせる手段を取っている極真空手は、単純かつ明確であると言わざるを得ないのです。
さて、この歳になると、団体や組織でのいい加減な人事をすることが、目につくように思えてならないのです。その責任者の都合の良い人事をするのです。そのような内容に関しては納得のいかない事が多いのです。それで、私は、自分を開拓の道を歩んで、自分で組織を作るという戦略に出たという事は正解であると思ってきています。誰が、どうのこうのという必要もなくなるわけです。結局、我が道を行くという事を、他の人に影響を受けずに進んでいく事ができるという事です。変に疑心暗鬼はしなくて済むし、自分の道をあくまでも開拓していくという事になるのです。私は、そのような理不尽な事に出くわしても、一度も文句を言うまいと決心しているのです。腹に据えかねることがなされようが、意見を言う事はしないようにするのです。そして、責任を持って貰おうという事です。もちろん自分も同意するのですから、その責任を逃れようとはしないようにするのです。
ところで、これからの私が築く極真会館宮城県本部の道のりですが、絶対レベルを目指して最高峰によじ登るという事です。そのような意味では、大きな提言をしながら、実際に組織化して、大問題を起こそうと思っているのです。どんな大問題かというならば、ボーイズビーアンビシャスという大問題という事です。ここで育った道場生一人一人は、社会に最大に役立つ人材であるという金字塔を立てるという事です。そのような意味では、歴史でも無かったような人材育成塾という事を目指すわけです。その為に、何の弁明もせずに着実に一歩ずつ歩んでいくという決意なのです。このようなグループを否定するような事があれば、断じて結果を残して戦い抜くだけの話です。このような歩みをさせて頂いていることに感謝する以外にはないと思っています。「何も無い人」としての歩みはもうできないのです。極真空手を背負っていく事に誇りを持っていくという事です。そして我々は発展するという事なのです。
今日も曇りのち雨という日でした。昨日、会長より、ヨーロッパの責任者のガデムが亡くなったと連絡を受けました。アラン師範をあの世に送り、その基盤を引きついて、一年も過ぎない時期に、ガデムをあの世に、送るのですから、悲しい思いにもなります。人の死は前後がないのだという実感です。悲しみに留まってはいけないので、前進あるのみなのですが、冥福を祈りながらの一日となりました。妻と午前中午後と一緒に過ごしました。一人では耐えられないと思ったのです。その気持ちを察してくれたのでしょう。温かくしてくれました。このような時に持つべき人は、素晴らしい伴侶であるという事です。