2015年4月13日(八段語録2384)
自分
ふと考えることがあります。自分は一体なにもの?答えが出ないのです。それでも、経験からして、極真空手を一生懸命修行してきた人という事は言えるかもしれません。もちろん、仙台市で生まれた人とかという事でしょう。この世に生まれて、人生の方向を定めて、出発して、今に至っているという事なのです。そして、人類七十億の人がいても、私と同じような人生を歩んでいる人は誰一人といないという事です。そして、自分を主体にして、自分を大切にし、家庭を大切にし、地域社会を大事にし、極真空手に全てを投入している人という事です。奇しくも、極真に出会って、世界を版図として人生を歩むことになりました。すでに、個人の環境を越えて、世界に連結される人生を歩んだことになります。そして、世界の極真メンバーが反対することもなく、指導者として受け入れてくれるのですから不思議です。一人の、旅行者として世界を回るのと訳が違うという事です。
また、愛情の世界でも、一人の女性と結婚をして、三人の子供に恵まれました。私に対して、共に歩む人が生まれたという事です。それも、五人家族なのです。そして、家族の幸せの為に、一生懸命になっている自分がいるのです。自分の人生において、この女性と結婚できたという事ほど、奇跡的な事は無いのです。ジャンボ宝くじで当たった以上の当たりという事でしょう。この女性と出会わなかったら、跡形もなくこの地上から抹殺されていたかもしれません。家族の為という意識から、自分の年齢からくる欲望や自己成功ばかりを願うというのではなく、家族を持った時点で、自然に個人主義の眼鏡は外されてしまっているという事です。そして、二十四歳の時に出会っていますから、それから十年、二十年、三十年、四十年に至ろうとしているわけです。
ところで、若かりし頃に、「極真の指導者ですから、皆さんついてきてください。」と言っても誰もついてくる人はいなかったと思います。もちろん、若かりし頃は、自分の事で精いっぱいで、チャレンジに夢中でしたから指導のような事は考えもしなかったことです。それだけに、歳を重ねるという歳月は私には必要であったのだと思うのです。誰も従うはずがない自分に、弟子ができ、極真会館宮城県本部の看板を背負っているのですから、いい加減な事はできないような自分になっているのです。そのような意味では、世界の果てまで通じる基準がこの年齢で築き上げてこられたのです。会長と共に歩んだ極真の歩みが重くのしかかってくるのです。この前、会長からFacebookに載せるのは気を付けなさいと指導を受けたのです。それは、立場があるかという事だとピーンときました。
そして、今、極真会館手塚グループの副会長として、恥ずかしくない自分を作ろうとしているのです。そのような自分であるという事を改めて自覚しているのです。このテーマを追求すれば、限りがありません。さて、今日は、娘の順香と一緒に、畑を耕してきました。昨日に引き続きジャガイモを植えてきたのです。娘と心を通い合わせて、幸せな気分になりました。帰る途中に温泉に入って、食事をして、色々な悩みも聞いてあげました。