2015年4月12日(八段語録2383)
極真の魂のままで
晴天の花見日和です。仙台市中心部の榴ヶ岡公園の桜が満開です。それでもお花見見物にはいかずに、泉区にある根白石の畑に直行です。今年もジャガイモを畑の半分に植えつけます。その為に、耕運機で八時間かけて耕しました。トラクターで一編に耕せば、短い時間で終わりそうですが、地道に土壌に、愛情込めてきました。春蒔きの白菜を温室から畑に移植もしました。実に有意義な時間を送りました。真っ青な空に白い雲がかかり、自然が時間と共に変化していくのです。自然の性質が、くるくる変わるのです。そして自然と私が動じ静ずるように関してしまいます。冬中に真っ白になった上半身を日光に当て、体を健康に保とうと思うのですが、日焼けしすぎる弊害が多いので、程々にしていました。もう畑を耕している最中は世俗的な全てを忘れているのです。自然そのものという感じです。
昨日は、道場生と久しぶりに組手をしました。とてもいい汗をかきました。還暦を越えても軟弱な自分にならないようにと、稽古の最前線に立とうと思うのです。この稽古をすることによって、世俗的な習慣に捕らわれて、惰性で生きることがないようにと、自分に対する気持ちの引き締めという事にもなります。極真精神を体と心で感じたいという欲求があるようです。実際の組手というよりは、心身に対して絶え間なく反撃をくわえてくる、世俗的価値観からの脱却という事が正しいのかもしれません。この極真八段の帯を締めて、極真精神を中心に歩み続けようとする決意の原点に立ち続けていたいと思うのです。ちょっとした心の隙間から道を逸れないようにとう気持ちにさせられます。しっかりと極真の足場に完全に立脚したいという事を願うのです。
ところで、そのように思うのは、弱い自分との戦いに臨むからに他ならないのです。人生を完全に武人として生きたいという欲求があるわけです。それだけに極真の内外共に、完成させたいという気持ちになるのです。日々不足を感じて、目標を持った人生として形作っていきたいのです。そして、極真精神に呼応する一つの姿勢として、表したいという思いになるのです。そのような事を本気で考えているので、まじめと言えば真面目なのかもしれません。それがもうすでに、身について染み込んだ自分の精神になっているという事です。そんな自分に誇りを持っているのですが、他人がからするならば、自己満足という事なのかもしれません。それでも、後天的に、極真空手と出会って、勝ち取ってきた品性ですから、大切にしたいと思うのです。
今日もやるべきことを全うして、岐路についたのが夜の九時過ぎですから、満足という事です。統一地方選の結果が放送されていました。本気で世の中を変えて欲しいものです。選挙だけ戦ってそれで終わりにはして欲しくないのです。