2015年4月5日(八段語録2376)
孤独からの解放
人は孤独を愛するかというならば、否です。独立心と孤独とは違います。確かに、最近の子供達は、就職すれば、家を離れて、盆と正月に帰ってくれば、それで良いような風潮になってきています。つまり、核家族化が時代の流れと共に進んでいるという事です。もちろん、結婚をすれば、両親との交流は少なくなっているのです。結果、老人は老人ホームに入居することができれば御の字という事です。このような、社会環境に果敢に挑戦しているのは、極真会館手塚グループという事です。会長と私は、会長をグループの長として敬い、連絡を取り合って、グループの発展に寄与しようとするのです。道場生も、会長を敬い、色々な配慮を受けるのです。それでこそ、生き生きとした組織という事です。会長が高い位置に立って、顔も見ることができず、歳月が過ぎていくのに、会長の姿が分からないままのグループではないのです。会長もできれば、大会や審査会に顔を出して、子供達の様子を見たいと何度も連絡をくださるのです。そのような、手塚グループにはしっかりした家庭観が根付いているのです。
さて、このような組織である手塚グループを他団体は羨ましくもあるのです。なぜならば、家庭観が崩れて、下剋上が絶えずあるし、反逆や組織の分断が絶えず繰り返されるのです。これは、まさに東洋的な武士道による家庭観の喪失という事です。手前味噌ですが、私は、三代が一緒に暮らす家庭を持っています。武士道の道を歩むうえでの見本になろうとしていることもあります。私達が結婚して、三人の子供が生まれました。私が子供に対して、全ての物を譲りますが、譲れるものには限界があります。私達夫婦は現在を生き抜いています。しかし、子供達は未来を象徴しています。それだからこそ、家庭として一緒に暮らすという事は、現在と過去の両方を共有することになります。さらに、お婆ちゃんがいますので、過去も全て相続するようになるのです。私は、両親から現在を生きる貴い知恵を学びました。そして、子供に対して最大限尽くして、将来に備えているのです。
ところで、息子は、極真会館手塚グループの指導員となり、柔道整復師という国家試験に合格して、いま、中川接骨院で修行しています。この前途洋々とした息子でも、広い世の中の事は全て理解していないのです。それは人が歳を取って経験の中でしか悟ることができないからだという事です。その為に、家族三代の意味があるのです。家として長きにわたって経験してきたという事です。もちろん、私は両親からの知恵を受け継いできたのであり、子供達に継承してきたのです。このような伝統が家にあるからこそ、家庭の伝統の秘密の倉庫の扉を開けて、宝を拾う事ができるのです。祖父母や、父母を軽視することは、家系を捨てることであり、歳を取った人を無視することであり、家の根っこを根絶することになるのです。
今日は日曜日で、雨です。ちょっと残念ですが、自分であらゆることを試行錯誤しています。直接指導員を刺激するためのプログラムを作成しようと試みたりします。また、どのように道場の基盤拡大をしていったらよいかという事も真剣に考えています。当然、このグループの価値観を指針としての歩みという事になります。今日は、孤独からの解放という気持ちで書いています。