2015年4月4日(八段語録2375)
極真空手を習っている道場生の姿勢

 今日は、少年部の子供達の事に関しての指導です。教室の中で、二人が喧嘩をして、どちらかが、怪我をしたとします。担任の先生の所へ行くと、怪我をした子供の事を気遣います。そして、何故喧嘩をしたのかという事を問いただそうとするのです。結果、怪我をさせたほうの子供を叱るようになるのです。これは、私の子供の頃の経験から書いているのですが、何を言いたいかというならば、正しい事を主張しても、怪我をさせたならば、させたほうが悪くなるという事です。本質の善悪は後回しになるのです。そのような事を念頭に、極真空手の稽古をしている道場生は、正当性が自分にあろうとも、決して相手に怪我をさせてはいけないという事です。これは、絶対に守らなければならない道場生としての鉄則です。そのような意味で、極真の修行をしているという心構えは、「喧嘩に先手なし」という事です。全身を武器にしている理由は、正しい事を主張する為です。それも、正しいという意思を曲げない為の、強固な肉体を作っていくという事なのです。
 さて、極真空手を習う前は、クラスでも問題を起こす乱暴者な少年がいました。いつもクラスで問題を起こしていました。ところが、極真会館に入門してからの彼は、誰かが悪戯を仕掛けましたが、黙って忍耐をしたのです。彼は乱暴者というレッテルを張られていましたが、この日ばかりは、先生の同情を得ることができたのです。彼は、忍耐をするようになって、いつの間にか、乱暴者という枠から、とても、良い人という評判が立つようになったのです。
 ところで、このように乱暴者から、とても良い人という評判が立つような子供になり得たのはなぜでしょうか。それは、一言で言うならば、極真精神が身についてきたからという事なのです。それは、利己主義と自己中心からの脱却を始めたという事です。感情のおもむくまま、行動していた少年が、極真空手を学ぶことによって、自己との壮絶な戦いを始めたという事です。厳しい稽古をする中で、自分が勝ち取って「徳」を得たという事なのです。悪い人の本性というのは、文句をつけて攻撃するのです。良い人というのは、攻撃した人に、損害を賠償させ、さらに復旧させるのです。これは極真精神に則っていくという事です。しいては、自然の法則に一致するという事なのです。そのような意味で、攻撃する指導権を取ることでなく、忍耐していくという姿勢ができるという事なのです。どんなことがあっても生き延びなければならないのが私達です。たとえ、どんなに攻められようとも、自分の目標を持って耐え抜く限り、最後には生き残り勝利するのです。
 このような気持ちで、土曜日第一回目の開設教室での指導を行いました。さすがに清々しい気持ちにさせられます。何も分からない新入生に、一からの指導をするのですから、それは大変な事です。全てを叩き込むことができません。その為に、基本となるような事を、繰り返し、指導し、一時間十五分の間に仕上げるという事をしました。少しの内容ですが、形だけでもできるようになるのです。もちろん、色々な子供がいます。しかし、将来の指導者を目指しての第一歩が始まったという事です。