2015年4月2日(八段語録2372)
押忍

 今、道場生考えることは、押忍という生活の実践という事を徹底しなければならないという事です。押忍の生活をしようとする場合、言葉の連発ではなく、意識を持って、内容に重点を置くべきです。何でも押忍・押忍は実に接続詞の連発で見苦しいのです。これは、手塚会長がいつも口癖にいう事です。そして、最初にしなければならない事は、指導者に対しての押忍という事なのです。指導者に押忍という目的は、結局自分の修行を良くするためなのです。自分が修行しやすい環境を整えるという事が大前提という事です。指導者から信頼されるという事で、極真精神が自分に留まるという事を考えなければならないという事です。ただ外的に、押忍という事だけを連発するのではなく、どのような意味合いがあるという事を理解すべきです。
 道場生は、道場に入室するときは、既に押忍の精神で満ちているべきなのです。何故にしなければならないかという事を、自分なりにも考えてください。私の場合、自分の能力を完全に投入するという気持ちを前面に押し出すのです。至誠貫徹ということです。「精誠を込める」という事を宣言するのです。言行一致とすべき言葉を自分から発するという意味合いなのです。そこで、押忍はそのような意味合いがあるという事を肝に銘じてください。そうすれば、自分の気持ちも嬉しいし、道場の雰囲気も良くなるのです。このように考えるところに自分の心は動くのです。
 さて、私がオブラートに包んだ表現はしたくないので、もう一度、強く強調しますが、覚悟してください。押忍の本質は、「絶対に不平を言うな」という意味なのです。完全否定、稽古の最前線に立てという事です。この精神があるから、今の一時において、未熟な自分であったとしても、未来においては、理想的な自分として完成するのです。そう考えると、稽古は、一生懸命にした方がいいのです。その為に死に物狂いで力をつける為に、稽古をしなければならないのです。一生は一度だけです。未来に生まれ変わろうとしてもできないし、この一時代は、自分にとって他のいかなる時代とも、取り替えることのできない価値ある時代であるという自覚を持って取り組むべきなのです。真正面から、道場で教育され、成していく事ができるという、素晴らしさに対して感謝しなければならないのです。理解できたでしょうか。厳しかったと思います。
 今日は、いつもよりも、厳しく話しています。それにしても、良い天気です。このまま畑に出かけて、ジャガイモ植えの準備をしたいと思っています。畑の雑草を取らなければならないし、土を耕さなければならないと思っています。それも楽しい事です。