2015年3月30日(八段語録2369)
妻の実家で

 島根と広島の県境にある北広島町八幡が妻の故郷であります。今日は、ここで一泊させて頂きました。中国山脈の、標高八百メートルの山の頂に、高台のように平野が広がっています。どう見ても天空の里なのです。それだから、冬はとても寒く、スキー場が至る所にあります。ここに生活するのは、大変だと思いました。本当に何も無いのです。妻の千順さんが、ここで生まれたという事ですから、「アルプスのハイジ」そのものという事でしょう。純粋な心は、この天空の里が育んだのかもしれません。ここは、自然が充満しています。どこを見ても、人間臭さがありません。道路を車で走ると、タヌキやキツネに出会います。全く驚きもしないのですから、自然そのものです。天国は銀河系の向こうではなく、このような自然溢れるところでは無いかと思うに至るのです。
 私の想像力を越えるところに、この天空の里はありました。一度は暮らしたいと思うのですが、便利さに毒されている私は、三日と持たないようにも思う心が芽生えます。もし、人生の始まりと終わりが、この里で暮らしていたら、純粋な自分の形成になっていたのではないかと思えるのです。私がこのような自然の中で生まれ、自然の中で生き、自然の懐に抱かれ、自然の軌道に沿って、人生を生き切ることが出来たらと空想してしまいます。そうしたら、反目や嫉妬があり得ず、お互いがお互いの為に生き合う自然な世界になるのではないかと勝手に想像してしまいます。この自然に触れると、お金や名誉、あるいは権力が支配するような世界にはならないのではとおもうですが、実際は分かりません。
 それにしても、天然の空気がいっぱい満ちている天空の里です。自然の空気を呼吸し、いつ、どこでも躍動するようにも思えます。特に春先ですから、自然が芽生えて生命に輝いているようです。この自然が私の体の細胞と一体不可分の関係で結ばれているようにも感じるところです。自然が支配する里だけに、神秘さを感じるのです。
ところで、午後から、妻の弟が入院したので、お見舞いと、病状によっては、転院という事もあって、芸北太田町の加計の病院を訪ねました。至って元気にしていましたが、少しアルコール依存症という事で、心配な面があるという事です。何もないという事は、時間を持て余すという事にもなるので、このような病気にもなるのかなと、理想ばかりではない現実に遭遇してしまいました。
 早速、お見舞いも済んで、車で広島空港に向かっていました。その時ロビーで出発の時間を待っていたのですが、息子の聖義から電話がありました。何かと聞くのですが、なかなかもじもじしているようでした。そして切り出した言葉が、息子の嫁さんである茂奈さんの、お腹の子供の性別が男の子であるという事でした。これで、親父から四代目までつながるのだという意識になりました。ありがたい事で、思わず神様に祈りを捧げました。「このように恵まれた人生を送らせて貰って感謝でありますと。」更なるお爺ちゃん業に励めると、意気揚々になりました。妻の里に行って、このような話が舞い込んでくるのですから、幸せな人生だという実感です。徒然に書き記していますが、世の中に、これほどまでに感動を与えてくれることがあるのだという気持ちになりました。