2015年3月29日(八段語録2368)
広島極真・五年の歳月

 極真会館広島県本部の交流試合が行われました。安佐南区のスポーツセンターで十二時半に開始されました。試合の参加人数は60名程で、今回が二回目という事になりました。型の試合も、組手の試合も、一回目とは比べものにならない程に進化していました。大阪から、金師範にも手伝ってもらいました。この光景を見るまで、振り返れば、五年前に支部開設に着手したのでした。泊まりがけに、一か月宮城県本部でノウハウを練っていました。このような、交流大会を単純に見ると、簡単に築き上げてきたよう思えるのですが、そのような魔術的に達成されたのではないという事を、見つめてきた立場で、感じさせられます。五年の間に急速に出来上がり、すぐに交流大会が開かれるようになったかというならば、決して簡単な事ではなかったという事が明らかです。
 今まで、宮城師範は、全てのものを投入したのです。そして、少しの余裕も残すことなく、極真にかける情熱が、努力の一切であったと思うのです。すなわち、極真広島に対して、第二の自分を創造するが如くに闘い続けた結果という事です。当然、極真空手の道場の基盤拡大はもとより、この期間、柔道整復師の国家資格を習得し、来年度からは、母校で講師をするという事なのです。自己創造の極みの道を歩み続けたという事です。つまり、極真を通しての「理想」の姿を道場の基盤拡大と共に愛情を持って歩んだという事です。柔道整復師の勉強と道場の基盤拡大の二者が互いに補足しあいながら、今日を迎えたという事なのです。
 それ故に、持てる全てを投入した時に、その対象は、成熟しつつあるという事です。それも何十倍もの結果として帰ってくるという実感をしているのだという事です。当然、極真と柔道整復師という対象は、これからの歩みの、力強い助けになるし、その自信は大きく花開くという事のように思えるのです。考えなくても分かることですが、人生における最高の傑作を生み出すためには、全ての心と魂を対象にぶつけて投入しなければならないのです。それが最高の作品を生み出す秘訣なのです。当人が、このような歩みをしたという事は、この交流試合を眺めるまでもなく、彼の人生そのものであるという事になってくるのです。そのような意味では、最高の能力の全てを投入したから、彼の人生そのものになるのは必然的な事であるのです。このようにして、極真広島が、宮城師範の生命になっていくのだという感想を抱いたのでした。
結論として、私達の人生の一つのパターンとしては、理想を実現しようとするならば、全てのものを投入するという事です。完全に投入しない限りは、対象としての極真広島は生まれてこないという事です。ここに初めて、調和と繁栄が生まれてくるという事なのです。この大会では、家族が一緒になって責任を分配して、見事に成功させていました。すべてに関して、喜ばしい結果であると思えました。金師範も、大会の様子を見て、勉強になるところが多かったのでしょう。感動を隠していませんでした。レールが出来上がって、これから、繁殖が始まるのだという予感を感じさせられました。