2015年3月17日(八段語録2356)
ふと脳裏をよぎること

 若き日の全日本の話をすると、みんな真剣になると思います。緊張するでしょう。そのような話をしたいのですが、あまりにも緊張するので、もう話をしないようにしています。その代りに、当時の試合の内容をフェイスブックにシュアしているのです。実に選手時代は、私にとっては、必要な時期であったと思うのです。今の道場生にとって必要であるかどうかは、判断しかねるのです。鍛錬してきた選手が、一瞬で倒れるのです。そのような闘いの真っただ中に、自分を置いて歩んだ人生が、恐怖におののいていましたが、懐かしいのです。もちろん、私よりも強い選手がいました。しかし、長い間選手として出場したという事を誇りに思うのです。
決して私は、有名選手では無かったのですが、数多く出場した選手の一人という事です。私は、今の道場生が分からない時代、闘い続けたということなのです。そういう事で、私の道場生であるという事に意味を感じてください。もうそんなことは私のようには、できないという道場生になると思います。と言うのも、はっきり言って「気が狂っている」という事でしょう。
 さて、私は試合に出た回数が相当多いのです。だから、試合にという事に関しては、専門的なのです。田原敬三氏というウイリーウイリアムスに闘って勝った道場生と、どれだけ組手の練習をしたかという事も脳裏をよぎります。その当時の極真会館は、ストリートファイトを盛んに行っていたりしていました。社会人でも結構労働者階級の人達が多かったように思うのです。もちろん、一人一人に聞いたわけではありませんから、不正確ではあります。それでも、その時の私は、どれほど真剣であったかというと、勝てる方法があるならば、どのような手段でも駆使した時代でした。
 ところで、その青春でさえ、自分に対しての甘さがあったという反省があるのです。それはこんな話からです。保護司をしている中で、死刑を宣告される人のカウンセリングをする立場の和尚さんが同じ保護司会の会長として私を指導してくださっているのです。和尚さんの話によると、死刑囚にとって、名前を呼ばれる時間こそ、みじめな立場は無いという事です。一回呼び出されたら、最後になるという事です。自分の名前を呼ばれると、びっくりするそうです。そこで、人知れず、深いため息をするのだそうです。もちろん、生きる道があったら、その為に命令されることがあったら、世の中に果しえないことは無いという気持ちになるというのです。もし生きる道があるなら、どんなことでもやり得るという、生命に対しての愛着から、寝ながらでもため息をつくというのです。
 そのような事を聞いた私は、あの過酷な選手時代でも、甘かったという反省をするようになっています。この年になって、もっと真剣に、生命を惜しむような心以上の心で、人生の第四コーナーを過ごさなければならないと思うのです。しかし、自分に問いただすのですが、自信は無いという自分もあるのです。死ぬことが問題ではなく、自分のミッションをやり抜くことが問題であると思うようにしているのですが、それも甘いのです。そのような真剣なレベルに対して、真剣に取り組みたいと思うのです。まあ、こんな話をしても、今の道場生で理解してくれる方は、どれ程いるかというと、皆無に等しいと思いますが、私の遠い思い出を綴った次第でした。