2015年3月14日(八段語録2352)
第三回国連防災世界会議

 仙台で国連防災世界会議が行われています。被災地での世界的に多発する大規模災害に備えて議論を展開するという事です。開会式には天皇皇后両陛下も出席され、主催者である奥山市長も挨拶をしました。安倍首相も防災の知見と技術による国際社会への貢献を力強く進めると演説をしていました。この会議は、首脳級を含め100超の国や地域の代表者も出席し、私も消防団梯子乗りの纏ふりとして、参加させていただきました。実に光栄なることでした。近年最も激しく被災した東北で防災会議をするのですから、震災を一から考える上で、大切であると思うのです。震災当時の心情、事情、よくよく、ありのままに検討して、新たな対策に繋がれば、この上のない防災会議になるのではないかと思うのです。地球上の災害は、これからも起こりうるわけで、その災害に対する対策をしっかり対処する時代へと突入したのであると思うのでした。
 さて、世界各国から来られた首脳級の来賓の皆様に言いたいことは、この東日本大震災に通して、胸の痛みを持って、会議を進めて、対処してもらいたいと思うのです。このような痛みを世界の苦難として考える指導者であれば、この会議で何かを感じた指導者であると思うのです。そうでなければ、この震災の教訓が生かされないと思うのです。震災を眺めてもらっただけではどうしようもないのです。もちろん、私は震災を味わった当事者として、世界の何処かで、このような震災があったならば、よその国としての認識はもうないのです。私が味わった震災ですから、起こった地域の人達の為に何ができるかを考えて、実践するような気持ちになるのです。これが、人間として当たり前の発想であると思っています。もう震災は、私にとって、生活の一部にもなっているのです。もちろん、消防団という災害に直接タッチしているボランティアを行っているのですから、当然といえば当然なことです。
 ところで、この震災で滅びてしまうような立場にあったことは間違いないのです。三月七日に開通したばかりの常磐高速道を通ってきました。浪江町に至っては、もう住居も何年も住んでなく、ゴーストタウンそのものでした。もし、原発の水素爆発と共に、現場の担当者が逃避していたならば、東日本は放射能で汚染され、人が住めない地域になっていたことでしょう。そのような意味では、自らを犠牲にして、為に生きた関係者の皆さんには、敬意を表したくなります。まさに、自己犠牲の道を進んで来られたという事なのです。他の国でこのような災害があったならば、日本人の現場原発関係者のような行動はて来たのであろうかと考えてしまいます。このような日本人の精神もこの防災会議では議論してもらいたいと思うのは私ばかりではないと思うのです。
 このように、東日本大震災が、世界の首脳級の人達によって議論されるのですから、この災害を教訓として大きな舞台に発展させたいものだと思うのです。この会議が世界の運勢、地球の運勢に、巨大な影響を与えられるものであって欲しいものです。今日、私は、この会議の一翼を担って、梯子乗りの演技をさせて頂きました。この地球、そしてこの人類をこよなく愛していきたいと、素直に思えた国連会議での一行事でした。国連会議そのものを、誇りに思っています。