2015年3月10日(八段語録2348)
地域との連帯

 世の中に信じられるものというのは自分が築いた信頼基盤という事です。ニュースの報道を見る限り、とんでもない事件が起きています。島から都会に移ったばかりの少年を殺害されたり、一家5人の殺害がされたり、こんなに世間には信じられない事が起こりすぎという事です。そのような事が起これば起こるほど、私は信頼関係の輪を広げようと思うのです。私の道場は、世の中の事件のような事と反対の内容を提示するという事に終始したいのです。殺すようであれば、生かすという事です。不条理であれば、筋を通すという事です。とんでもない事の反対の事を実践できる、信頼関係の構築が願われると思って、取り組んでいるのです。
 さて、報道を見る限り、本当に人は騙します。政治家はもとより、多くの世の中の指導者は人々を騙すのです。人々は、そうされることによって、恨みの峠が最大限高くなって、困難と苦痛の壁として立ちふさがってしまうのです。そのような意味では、道場は逆説的な実践をして開拓しようとするのです。それが道場と地域社会を良くすることであると思っているのです。今の世の中は根本が崩れています。失われているという事になのでしょう。そのような意味では、私が信頼関係を持っている人たちとは、良き関係を持ちながら、社会の修復にあたるようにすべきであると思うのです。この精神の根本は極真精神という事になります。それしか、私には活動する術はないという事です。
 ところで、自分の人生を過ごしてみて、何ゆえに若き日を極真の修行という道を行ったかという事を考えるのです。若き日に家出同然にして、結構苦労したという事です。普通男性であったら、そんなに地味な稽古を続けていくという事は難しいものです。道場に引き籠って鍛錬をしていたという事です。当時極真の指導者という人たちは、板金屋であったり、タクシーの運転手であったり、社会的には底辺の人が多かったのです。そのような人達に対しても、極真精神を持って空手を極めようとする一点で尊敬もしたのです。そのようにしなければ、稽古などできるはずはないのです。そうして、将来を期待される道場生が、指導者に私物化されて滅びていったし、私のようにいつ逃げていくのかと思われた人が最後までついて行っているという事になったのです。
 結果、先輩を反面教師として、連略を緻密にし、極真精神に、則りはするものの、エイリアンのような宇宙人としての組織の在り方ではなく、地域の中で役立つ世話人になって、道場を発展させる道を選択したのでした。その為に、地域社会の人達から信頼されるようになり、良き関係を結ぶことができるようになっているのです。そのようにして、お互いが信頼できる環境になって、認め合う状況に来ているという事なのです。このような歩みは、かつての極真会館の中では、皆無だったのです。そのような意味では、地域社会との連帯という極真史に残る転換起点を作ったという事にもなるのです。それは、とてつもない行動であったと、今振り返ることができるのです。このような活動は、私一人によるたゆまない行動ですが、とてつもない事をしたのではないかと自己満足はしているのです。このような極真空手が、社会に受け入れられる活動であると信じて実践して来たという事です。