2015年3月9日(八段語録2347)
懐に抱け

 私も人生振り返って、奇想天外な生き方をしてきたものであると感慨深くなるのです。
マックの試合で、かつて一緒に歩んだ弟子が来ていました。極真空手を続けて、色々な事が起こりました。組手の痛みは、その日のうちに忘れてしまいます。しかし、かつて共宮城県本部の指導者として開拓してきた弟子が、私の元から離れていったとき、自分の心を冷静に分析するならば、組手での痛みの何百倍の痛みを感じたし、悲痛になったものです。最も内的な心をえぐられる衝撃は、その痛みを受けた人でないと理解することができないのではないかと思うのです。このような体験は、なかなかできるものではないのです。もちろん、弟子ではなく、妻に見切りを付けられるとするならば、もう生きてはいけない程の悲惨さを味わう事は間違いないと思うに至ってしまいます。
 さて、私は、選手としての修行のみならず、師範として指導者としての歩みも体験しました。選手での苦労と、指導者との苦労を比較するならば、指導者としての苦労が永遠に忘れることができないのです。その時が訪れたのでした。もちろん、侮蔑に満ちた嘲笑は受けてはいませんが、かつて、真剣に愛情を投入したという気持ちが渦巻くのです。もちろん、永遠にその弟子の事は忘れることはできません。それを私は解決しようと思うのですが、相手があることですから、どうなることやらという気持ちです。
 話は戻すのですが、一緒に歩んだ弟子との会話がありました。私は、十年前の事になるので、わだかまりも少なくなってきているし、同じ極真会館手塚グループという事にはいかなないですが、手塚会長から段位を頂いて、極真の道を宮城県本部から指導者として巣立っていったわけですから、自分の系図を大切にしましょうと話したのです。そして、できることならば、友好団体としてお互い大切にしましょうと、持ちかけたのでした。それは、心の中で、人としての義と極真空手を先駆け歩んだ私の姿勢であると思ったのでした。語った内容に対してどのように反応するのかは分かりませんが、私の愛情は提示できたのではないかと思うのです。
 ところで、このような深い傷を二度味わったのですから、目を閉じて黙想し始めると、自分の足らなさと悲しさが同居してくるのです。もちろん、このような気持ちは、親も妻も分かってくれないであろうと思うのです。一人として理解されることのない事であると思うと、孤独な気持ちにもなるのです。人は弱いものです。その当時は、いても立ってもいられない気持ちになったものです。もちろん、離れていった人は、そのような私の気持ちを理解することは無いと思いますが。
 結局、私は前進しようとするのですが、多くの弟子達の事を、思いながら日々を過ごしている老人なのだと感じてしまうのです。そのような意味では、今の師範や指導者は、長い間ひたすら待ち続けてきた弟子であり、私の愛情の結晶のような存在です。それだけを大切にすればいいのですが、歳をとると、昔の弟子も、心の中に収めたいと思うのです。そして、かつて共に開拓の旗を上げたのだから、このような立場でも、何か良き接点を持てないものかと思うようになるのです。