2015年3月8日(八段語録2346)
マック試合観戦で思う事

 マックの大会を見に行きました。「審判目立ちすぎ」という印象でした。たった一分半で審判員がどれ程選手に干渉するのでしょうか。呆れるばかりです。主役は選手でしょう。それなのに、笛はなりっぱなし、選手は「試合の中断」しっぱなしという事です。それも、押した、頭を突けたという理由で中断を絶え間ないのです。果たして、選手はどのような戦法を取ったらいいのかと考えさせられます。組手のスタイルを単一化してしまう試合という事です。例えば、まず自分が相手の技を受けながら、戦法を考えていく事も必要でしょう。また、最初から打ち付けていくという事も必要でしょう。そのような闘い方のバリエーションを少なくしてしまう審判内容としか映らないのです。今後選手を主人公としたルール改正が望まれるように思います。実力があっても、再三ホイスルばかり鳴らされたら、何をどうすればいいのかという事です。しかし、他流試合ですから文句は言えない立場であります。
 さて、私が選手たちに要求することは、このような「審判員至上主義的」な内容から、技を競わせるために、悪環境の中でも、選手個人に考えさせるような試合内容にすべきであるのです。その内容をクリアした選手もおりました。ルールを熟知して、優勝まで到達した宮城県本部の道場生になりました。その選手と私は、会話をしながら、試合に臨ませたのですが、知的に整理して、勝利するためにあらゆる環境を検討し、熟孝して試合運びをスムーズに動かしたのです。まあ、そのような意味では、いかなるルールの障害があろうとも、ぶち当たってそれを抑えてしまうような順応性も必要であるという事です。そういう意味では、この大会で、この選手が、突破口を開いたわけですので、闘い方の継承を、選手会で検討することになるのです。そういう意味では、選手会は、この選手の闘い方を見本として、多くの優勝者を排出する、研究も必要になるという事です。
 ところで、大会ルールに対しての技術的な対応を強化するのとは当然のことながら、一番大切に磨いてきた「一つしかない決定的な技」を繰り出して、最高のものとして闘うという事が、これからの戦法となるという考え方もあります。この選手は、体の柔軟性を生かして、上段の変則蹴りを磨いていました。これが的確にこの試合で表現されていました。この内容を選手会で学びながら、柔軟性を身に着けて、上段での闘い方を徹底的に練習するという事で、「綺麗に勝つ組手」を推進していくというのも一つの方向性かもしれません。というのも、下段蹴りで、相手にダメージを与えたという事を、選手は思っても、金的をカバーして反則であるかのようにアピールされたならば、不利になってしまいかねないのです。
 当然、優勝者であるならば、他の選手は研究してきますし、克服される対象になるのですが、それだけに、工夫を凝らして、次のレベルに上がっていくという事も必要になってきます。この試合で、指導者として学んだことは、徹底的に柔軟性を強化して、上段での闘いができるようにするならば、勝機が多く出てくるように思うのです。また小中学生のうちは、そのような技を身に着けて、華麗なる組手を目指すべきであると思うのです。またそれができる宮城県本部の道場生であると思うのです。そして、一分半の時間を戦えるだけの持久力を身に着けながら、不屈な闘志を身に着けてもらいたいのです。大会から帰ってきたのは、朝方でした。もう眠いので、ここで今日の分を書き下ろしました。