2015年3月7日(八段語録2345)
稽古は続く

 人生振り返ると、若かりし頃は、何も持っていなかったのです。ただ修行あるのみの人生を歩いていて、どんなに頑張っても、一握りの何物をも持っていなかったのです。そこから修行を続けながら、信頼という基盤を作ってきたという事です。そういう信頼は一朝一夕にできるものではないのです。そういう歩みをして、今は手塚グループの副会長になって、全国・全世界・そして宮城県の道場生に、私の培ってきた経験の全てを、与えようとしているのですから、不思議な事です。だから、私以上の事ができない筈はないのです。あらゆる確証を持って、あらゆる環境を整えて、そして、私のあらゆる経験が、口から飛び出しているのです。私は、開拓者でありましたから、全日本の現役を終えるまで、自分自身を酷使して、トレーニングにつぐトレーニングを重ねてきたのです。客観的に見て、刑務所にいるような生活をしてきたという事です。考える以上に囚人のような人生を送ったという事です。
 そのような事であっても、もちろん自分自身としては、悲惨な人生を歩んでいるという実感は無かったし、それは、私しか歩めない道として、間違いなく、チャンピオンとしての意識だけは持っていたように思うのです。今でも自分自身の人生においては、チャンピオンであり、開拓者であるという意識は強いのです。ちょっと話はずれるのですが、更生保護の仕事をして感じるのですが、人生の何たるかを理解することなく、刑務所に収監されている人たちに出会うたびに、ちゃんとした人生を示せる人物として教育できていたらという意識は強いのです。誰かが人生の何たるかの表現をしていたならば、誤った人生に至らなかった囚人が多かったという思いがするのです。囚人と私の違いは何かというならば、やはり苦労という面では同じか、それ以上に私が苦労を重ねてきたのではないかと思うのです。しかし、私には、極真精神という素晴らしい武道精神があったから守られるという事が言えると思うのです。
 ところで、ここまで苦労して基盤を築いてくると、多くの誤解は解けてくるものです。師範になって最初の頃は、悪口も相当言われました。二チャンネルには、3000ほどのレスが残っているのです。もうそのような批判を受けても、当てはまらないと思ってくれる多くの道場生がいるようになっています。今の心境は、もっと苦労しよう。どんな苦労が絶えなくても、誤解されても、もっと非難されても、文句を言っている暇はないという気持ちになるのです。それは、極真の指導者として二十年近く闘って、支援してくださる方が多くなったという事であるのです。そうしながら、伝統を立て続けていけるので、私がやっていることが、勝利を収めることであると、思うのです。だから、空手だけでなく、日々の生活に一生懸命になれるのです。
 今日は横浜に来ています。マックの大会が行われて、うちの道場生が参加するからという事です。道場生に言うのですが、試合での勝負は小さな問題であると話します。修行は続くのです。日々何を学ぶかという事ですが、極真の思想、戦略、伝統、心を学んで、間違いなく、人生を正しく全うするという方向に向かっているのです。これが一番重要な事なのです。人生の生き方を熟知して、頑張れるように道場生は向かってください。