2015年3月6日(八段語録2344)
人として悔しく思う事の解決策

 組織において、長いものに巻かれるような事になるのは、一本木な私としては、嫌な事です。人を押分けて、立場を得るのは、その人物にとっていいのかもしれませんが、押し分けられた人にとっては、気分が良いとは思えないのです。よく手塚会長がマッチポンプをさせられる話をしてくれました。組織において指導者は、自分の好みを用いていくような、人材登用の仕方は、慎むべきであると思うのです。内容のない小心な指導者に在りがちなパターンであることは察しがつきますが、それだけのことです。もちろん、虐げられた当事者として、どのような対応をするかという事は、大切な事です。大体一流企業などで、サラリーマンが経験することなのだと思います。大概は、窓際族と言われて腐って人生を過ごすようになるのでしょうが、心の治め方はとても難しい事であるようです。そのような意味では、職場に相談窓口を置いて、カウンセリングをして、どのように心を持っていくかという事を専門的に指導できればいいと思うのですが、そこまで体制が整っている組織も少ないと思います。結局は泣き寝入りということになり、腐って人生を過ごすことになるのが大半であると思うのです。
 さて、私のこのような環境を乗り越える技は、人と人との信頼関係は重要視するということです。つまり隣の人との関係という事になります。今は、道場生が多く集うようになって信頼されるようになっていますが、修行時代の彷徨していた私の心など誰も理解されることなど無かったのです。指導者にもなっていなかった私が尊敬され、待ち望まれるという事は、当然あり得ない話しという事です。私が指導者として立っていない限り、今の道場生も周囲の人々も、自分たちの事情と自分の置かれた環境に偏って、深い眠りの中でいたのかもしれません。私が指導者として立ち上がって初めて、彷徨していて誰からも理解されない修行時代の内容が理解されるのです。極真会館宮城県本部に道場生が集うようになった時点で、多くの道場生に伝えられるようになっているという事です。そのような意味では、自分で組織を作ることが、自分を知ってもらうための近道なのかもしれないのです。もちろん、知ってもらう自分が、自己中心な私であったならば話にもならないという事です。
ところで、振り返ると、師範の気持ちを誰が知り、誰が事情を知ってくれたでしょうか。一人もいなかった人生から始まったという事です。喜怒哀楽を共にしてくれる人もいなければ、この極真の道に友がいたかというならば、いなかったという事ですから寂しい話です。そのような中で、心を打ち解けて話せる人が、今の妻の千順さんという事なのです。男として、これほど頼りになる人はいなかったのです。この女性との出会いで、人生は変わったのです。腐る自分を励ましてくれたのも千順さんという事です。決して傷の舐めあいをするような関係ではなく、たえず励ましてくれたのです。そして、お互いの愛情を高め合って、今があるという事なのでしょう。その関係でのパワーが、私の師範としての源泉であり、道場を開設してから、本当の弟子が育成されるまで、二十年の歳月がかかったという事も、現実の経験としての物語なのです。
結論として、どのような環境に置かれても、信頼できる妻や友、そして師がいるならば、乗り越えていけるという事なのです。私も様々な課題を抱えながら果敢に挑戦してけるのも、かけがえのない人達が周りにいるからであるという事です。