2015年3月3日(八段語録2341)
気迫十分

 日差しも強くなってきました。もうすでに二十年ほどの年月をチラシ配布し続けて今の基盤を作ってきました。雨が軒先から落ちる水滴で岩を開けるような長い年月という事です。まだまだ、岩に穴が開くまでに至っていないというのが現実であると思います。そのように思うと、まだまだだという事になります。このレベルでどうするのかと、自分の心に問いかけます。いい年をして師範が、未だにチラシを配っているのですかと問われたことがありますが、胸を張ってそうですと答えるのです。ブランド品で着飾って、かっこよく良い男の姿をして、極真会館の基盤はできないという事です。まだまだ大きな峠があり、越えなければならない山がいくつもあります。このような事だけをする為に地上に生まれたのではないと思ってしまいます。そういう意味では。孤独であることは間違いないのですが、崇高な生き方をしているという気持ちにもなります。
 さて、考えて見てください。私は、青春時代を極真空手で修行し続けました。雨が降っても雪が降っても、関係が無かったのです。稽古で流した汗はどのぐらいになるか計り知れません。この流れる汗が、自分を確立していくのだと信じ続けたものです。もちろん、その当時は、地上最強の空手という映画、そして続編、雑誌など刺激をするものがいっぱいありましたので、自分を奮い立たせるのに不自由は無かったのでした。このような体験ができたのは、大山総裁が統率していたからだと思うのです。それで、私の時代に何ができるかという事を問いかけるのです。まだまだ、今の基盤を見て、こんなもので満足しているようでは、どうしようもないと自分に憤りを覚えるのですが、仕方がありません。前進しかないのです。
 ところで、過去の戦国武将のように武力制圧であれば、もっと楽に事はなされると思うのも、自然の理でしょうか。それでも、着実に息が詰まろうと、五感がマヒしようと関係なく、前へ進む以外に無いのです。それも一番遅い列車のような気がします。「教育をするという列車」という方法です。自分が歩んできた道を道場生に感化させ、人格で屈服させていくという戦略ですから、経済活動とは全く異なるのです。億万長者の道を選択したのではないのですから、仕方がありません。
結果的に自分の欲望を中心として、極真会館を利用した人もいました。知っていても騙されたふりをしてやりました。戦国武将でしたら、日本刀で一気に首を落とすのです。今の時代であり、私の精神ですから、いつかは極真に帰ってくるという気持ちで我慢したものです。そんなこと、こんなことを含めて、今日という日に全力で闘いの宣布をして取り組むのです。もうすぐに六十二歳になるのですから、いつお迎えが来てもという気持ちになる時もありますが、今は、まだまだこんなもんじゃないでしょうという意識が強いのです。このような事で人生を終えたくないというのが本音です。気迫十分というところです。