2015年2月28日(八段語録2338)
大会での心得
今日、第九回 型の部、フェステバル宮城県本部交流大会を開催しました。この大会を知って参加する道場生は、もちろん内部だけなのです。一年間の対外試合に、どのくらい道場内部のレベルになっているかを審査するという意味合いが強いのです。そして、この結果を踏まえて、今年の大会へ望んでいくという事になります。当然、指導者も、親も観ますから、高望みもせず、自分に合った大会に参加するという事になります。自分のレベルがどうなのを第三者が評価してくれるという事は、とても重要な事です。これからの稽古の指針にもなるのです。このような大会が無かった事で、間違った選択をしてしまうという事もあるという事です。指導員は全力を出して教育してきたのです。その道場生が、どれくらい成長したかも客観的に評価されるという事になります。
このように、道場生、指導者、親と与え受けた結晶が、この大会での試合になるのです。指導者も緊張しますし、親も、当然本人も緊張を隠せないのです。そして、大会で展開していく世界は、極真空手の真髄に埋め尽くされた結晶の世界という事になります。参加者全員が望む技術、精神を表現するわけですので、私の評価にもなるのです。どうせ、極真の道を究めなければならないのです。このような大会で自己採点をするという事も必要不可欠という事になります。道場生が全員集まったら、素晴らしい結果が現れるかというならば、それは大間違いなのです。一人一人がどのレベルまで高まって、極真の真髄を継承したかが問われなければならないのです。
ところで、そのためには、極真会館宮城県本部で、真の極真精神がなければならず、その内容に、一歩ずつ近づいていく道場生でなければならないのです。そこで問われるのは、自分に対して「お前は本物か」という事です。その本物を日々磨き上げて、顕現していくのが私の役割という事です。そうしなければ、進展もへったくれも無いということです。この件に関しては、道場生が団結したとしてもどうしようもないのです。極真の手本として、たえず存在しなければならないというのが私の役割なのです。実に私の人生楽ではないという事です。私の課題は、極真精神に百パーセント符合するという事なのです。段位八段という事に固執することなど考えることはできなのです。
結論として、私が実践した極真の修行の道を、一緒に行く一人の存在を探し求めるという大会であるとも言えるのです。中途半端はいらないのです。この大会で、私がそのような後継者を探し求めているという事を意識してください。もちろん、大会のスタッフであったり、審判であったり、選手であったりするのですが、そのような意識にあることを肝に銘じてくさい。極真会館宮城県本部が、最高の人材を創出する基準が、私であり、私を越えていくところに道場の義があるのです。そうでなければ、極真会館宮城県本部の道場生として何の関係も無くなってしまいます。私の願いが、この大会に埋まっているのです。そして、この課題を解決するのが道場生の皆さんであるのです。私は道場生と御両親に、武道家としての理念を全て余すことなくブログで表現しています。この理念と観念を超越して、素晴らしい価値を持つ道場生になって欲しいのです。問題は、道場生個人です。至急の課題であります。