2015年2月25日(八段語録2335)
人生の最終段階

 還暦を越えると、内容がそれなりに、充実してきていますので、人生全て備わったように思え、自分の人生の最終段階の到来のような気がします。気分的には、一挙に片付けたいという一騎駆けの気持ちになります。こうなると、人生の夢の成就の時期であり、最後の刈り入れ時期であろうと思えるのです。まあ、そのような意味では思う存分人生を闘い抜ける時期でもあります。欲張って最終的に私の人生に最高のものを建設したいという気持ちになります。今までは、人生は長いと思って、理想を望みつつも、不可能な事も、遠い距離にあるものとして諦めたりすることが多かったのですが、このように、人生存亡の年齢になると、現実的な理想のハードルを掲げ、達成しようと思うに至るのです。今までは、人生十分にあると思い、失望の中に暗中模索の人生でありましたが、この時点になると、そのようになるわけにはいかないという事です。
 結構私の人格が丸くなったのも、手に手を取り、肩に肩を並べ、自分の夢を成就して完成するという事に全力を傾注するようになるものです。過去の私は、選手として肉体の練磨に励んでいましたが、今は理念と愛情による指導での戦いに変化してきました。人々の良心に訴えて、そのうえで温かい愛情で迎えていくという姿勢には、誰が変わらないでおられようかと思うのです。もう人生の悪夢は見たくないという思いが強いのです。道場での稽古内容もかなり変化してきました。強制や拘束のような指導から、全てが愛らしく、嬉しく、楽しい道場にしようとして、理念を大切にして、自由に行える希望あふれる道場になってきていると思うのです。成熟するという事は、正しい人間に近くなるようです。そして心は、無限に自動的に真理が湧きいずるようにも思えるのです。私のブログを自分で振り返ってみても、結構自分で納得しているのです。
 ところで、私の人生は、影響は受けましたが、いかなる指導者にも頼らずに歩んできたように思うのです。特に、善悪の判断がつかない場合は、自分の心が判断基準としたのです。どこかの団体で、飲み会中心になっているですが、私の場合、自分の心の判断に任せて、酒も飲まなければ、タバコも吸わないという事を徹底して、この会合に出席します。自分の行動は、誰からも干渉を受けずして、良心従うのみにしているのです。私には、目と耳があり、稽古によって、自らの心に油を注ぎ、信念を燃やし、極真の先駆けとしての香りを発して、鍛錬の生活をしてきたという自負心があるのです。よくコンパニオンを入れて、馬鹿騒ぎをする団体もあるのですが、私は眉を潜めてしまいます。全く性に合いません。
 こうして、石橋を叩いて、渡るのもためらうようにしながらでも、掲げている夢の実現に全力で取り組んでいきたいと思うのでした。肉体が思うようにいかなくなるのも、目の前に近づいています。そんなことも意識して、完全投入、全力疾走という事になるのです。今日も不思議に晴れて、外は温かいのです。いつまでこの気候が続くのかなと思いながら、疲れた肉体に鞭打って、戦いの先頭に立っていきたいと思うのでした。