2015年2月23日(八段語録2333)
自然は大切なもの

 今日は、朝から暖かいのです。二月だというのに14度まで上がってきています。もう四国では、梅の花が咲き誇っていると聞きます。消防団の会議で秋保のホテル佐勘に泊まりました。人間関係は実に難しいものです。当事者の私としては、自尊心に火がついていますので、どこまでも歌舞伎通すという事を前提に対応しようと思っています。それにしても、野原にある小さな一握りの草も、必死に芽を出そうとしています。育っていく木の一株を見ても、そこには、その木の意地があり、生きようとする内的絆があるという事を感じるのです。草木だけでなく、野原をはねる狸やキツネ、そして北帰行をしようとしている白鳥に至るまで、何気なく生きているのではないという事です。それらは全て、徹頭徹尾、時間を惜しまずに、一生懸命生きているのです。
 そして、外の庭にある一握りの草を掴んで嬉しがっている自分があります。一日の願いを込めるように、草に向かって、「頑張るぞ」と、言っている自分があるのです。そういう意味では、この一握りの草でも、私の心を励まし、慰めてくれる対象になりうるという事です。私は、一握りの草も好きですし、どの花であっても好きであるし、鳥や動物にしても可愛がってしまいます。このような気持ちを大切にしながら、人生という歩みに打ち勝って、純粋に森羅万象を見つめることができる自分でありたいと思うのです。この気持ちを失わないために、この不条理な社会をどのように克服するかを考えているのも自分であるという事です。もちろん、過ちは正すという事を前提にしますが、その過ちを正そうとするときに、自然を愛せないようでは、どうしようもありません。
 ところで、今日の闘いは、ちょっと疲れが出ているので、大変です。二月も下旬に来ていますので、引き締めようとするのです。こんなにも、自然界は矛盾なく、存在しているのだから、自分も矛盾の引きずりを繰り返すことなく前に向かって、進んでいこうという気持ちになります。まさに、草や花、そして鳥や動物達に励まされるようです。自然からのパワーは力強いものがあります。いつも自分の中では栄光の立場、楽しむことができる立場で喜びを体得するために努力しようと思うのです。もちろんそれだけでは足らないのは重々承知して、スタートラインに立とうとします。
 そういえば、森羅万象からの要素を除くならば、私の生命を維持することはできない事に気づかされるのです。自分自身が貴く思う限り、私の肉体の要素を提供してくれる森羅万象に対して、喜悦の媒介にならなければならないと思うのです。こうしないと、自然界に対しても、正道を備えることができないし、自然と通じることができないと思うに至るのです。もちろん、今日も完全燃焼です。そして、何ができるかという事の挑戦になると思うのです。今日は一塊の土くれの中の草を掴んで感じる世界を書いてきました。