2015年2月20日(八段語録2330)
私の理想とする組織
良き組織と悪い組織という事を考えて見たいと思います。間違いなく、両方の組織は存在します。指導者ならば誰でも、自問し、苦悶するような内容であると思います。良き組織とは、一言で言うならば、思いやりが充満し、愛情が軸になっている組織であると思うのです。すなわち、環境が整備され、内容がある組織であると思うのです。誰もが、喜んで学んでいける、一貫して明るい組織であると思うのです。その明るさの懐に抱かれ、明るさの軌道に沿って、空手の修行ができるところであると思うのです。それだから、反目や嫉視があり得ず、お互い調和して生き合う事が、自然に醸し出す組織という事になると思うのです。
そのような意味では、一人が成功したならば、全体を代表して成功したということであり、一人がうれしく思うのは、全体の為にうれしく思うことであり、一人が喜ぶと、全体が喜んでくれる、のような組織であると思うのです。
反対に、悪い組織という事になりますと、お金や名誉、あるいは権力が支配するような組織という事になります。
この数日間、大阪の金師範の道場へ指導に滞在しました。金師範の指導は、一人一人に丁寧に、愛情をこめて指導しているのです。その指導を子供達が呼吸でもするかのように、聞き従い、吸収していたのです。何とも、生命が躍動しているように思えました。道場生すべてが、金師範を親父のように慕い、家族のような因縁を結んでいるのでした。いつも表現するのですが、体の細胞のように、不可分の関係が結ばれているように思えました。
それで、どうして、私が、金師範のところを指導するために行ったかというならば、素晴らしい指導を直接見に行ったという事と、極真の伝統により合致するように、着物を縫い合わせるような立場で行ったのでした。もちろん、針が頑張って、指図しても、糸が付いてこなければ、着物を縫う事ができないのです。私だけが、いくらと頑張ってもダメという事です。今回も金師範と道場生、そして私が一緒になって頑張った期間であると思っているのです。
ところで、どれほど、金師範の道場の為になったかは分からないのですが、破れている所があったならば、修繕してきたのではないかと思っているのです。金師範は、私が指導してくれたことを感謝していました。そのような関係が手塚グループの組織の姿ではないかと自分なりに感じてきました。もちろん、指導内容がどうであったかを反省し、自分自身を分析し、厳しくチェックするのも、私の役割であると思うのです。私は、手塚グループの一指導者として、多くの道場生に対して、愛情を持って指導する事も大切であると感じるのです。それが、自分自身の責任であるように思っているのです。出発したばかりの道場の成長は、時間がかかるものです。
それでも、大阪の道場生、一人一人が、私の脳裏に焼き付きました。写真を見ても、稽古している姿が思い浮かぶようになっているのです。このような事が、宝物になりそうです。
今日は仙台に帰ってきて、責任を果たせたかというかを自分に問いかけています。自分の責任を尽くせない人になってはいけないと思うのです。それゆえ、責任を全うするために倍の努力を重ねようと思うのでした。このような気持ちを持てる組織が良い組織ではないかと思うのでした。