2015年2月18日(八段語録2328)
エゴの克服

 極真会館は、全世界に広がりました。私も、世界の為に、極真会館という道場生を土台に貢献することができました。そのような意味では、身近に世界の為に何か貢献するという事になれたのです。私が自分の道場、あるいは、家庭だけに留まらずに、世界に目を向けることが必然的にできるのは、手塚会長と築いてきた極真会館のおかげであると感謝しています。会長と世界を何度も回りながら、自分の全てを与え、愛情を注ぎ、世界の道場生の為に歩み続けてきた事になりました。奇跡にも等しい事のように感じているのです。そのような意味では、理想的な生き方ができたことになります。そして、世界の道場生を指導してから、仙台に戻ってくると、少ない経験ですが、世界の為に歩んできたという自負心から、この恩恵のスパイラルというサークルが、仙台の道場に移管されたのです。それが調和し、永遠に増し加わるような、繁栄のプロセスが築かれていく事を感じているのです。そこには溢れるばかりの深い喜びや、幸福感の充満する理想が乗り移るようでした。
 本当ならば、自分の道場だけの事を考えて実践していればいい事なのですが、若い時に、利己心が全てのものを破壊しているように思えるのです。このような信念は、一般社会の例が多く見えていたのです。家庭内において、利己心は不調和を生み、苦しみと闘争へと爆発していくように思えたのです。その要因は、誰もが、仕えられることを望むのです。夫として妻に仕えられたら気持ちは悪くないのです。上司が部下に仕えられたら気持ちも悪くないのです。そして、それがいつの間にか、必然的に当然のようになっていくのです。そのうち、仕えられるものは、策略を用い、共謀し、騙し、そして嘘をつくようになるのです。そのような社会環境、夫婦関係に成り下がっていくのです。不幸を招くために結婚したわけではないのに、いつの間にか、冷えた関係の夫婦になるのです。それはまさに、利己心をお互いが克服することができない事に起因していると悟るようになったのです。
 ところで、離婚した夫婦を非難するつもりはありません。というのは、家庭を作ることが人生の幸福の源泉であると思っているので、本当のパートナーを早く探し出し、巡り合えばいいという事です。そのような人生を歩めば良いのです。そのような意味では、家庭は作る事を、例え離婚したとしても、再婚を勧めます。そして、仕えられるよりも、仕えること互いに望んだらよいと思うのです。もし、私の家庭自体、エゴイスチックに、利益と幸福を追求するとしたならば、それは滅びるという事です。私や私の家庭は、道場生に対して、模範を示したいと思って毎日を過ごしています。道場の為に、そして地域社会の為に奉仕することを「良し」とする生活を重ねていくという事を念頭に置きながら人生を歩んでいるのです。
 結論として、私は今、はやりの個人主義は結構尊重します。それは時代がそうなっていると思っているからです。そのような時代だけに、利己的な個人主義にならず、奉仕的個人主義を推進していくべきだとおもいます。それが、充実した人生として歩めるものと思うのです。そのような気持ちで、崩れ去る砂の上に楼閣を築くことなく、堅実な生き様にしていくようにしたいものであると思うのでした。今日は、大阪の金師範と行動を共にしています。素晴らしい家庭です。大阪の発展に何ができるかを、自分なりに探し求める一日になりそうです。