2015年2月17日(八段語録2326)
強くあれ

 今の宮城県本部で協調することは、「一人一人が強くあれ」という事です。激動する時代に、極真で鍛える心と体は必要です。誰もが目標を失い混沌と混乱を起こしている時代に、この波を乗り越えて、自分なりに提示すべきなのが、極真の精神を継承して、歩んでいる私達でなければならないという事です。これは、このグループがどうのこうのという事ではないのです。一人一人が行くべき人生という事です。あくまでも受け身になって、追従していく人になってはいけないという事です。私という師範は、地域社会で貢献し続けています。それは、地域の人達に、私達の武道精神というものがどのような精神であるかを提示し続けることに意味があり、価値があるのです。
 時には、全体に対して提言することもあるのです。東日本大震災で、地域そのものが無くなってしまった蒲生地区があります。消防団の活動をしていますので、仮設住宅に移り住んでしまって、その地域は、将来的に工場地帯に組み込もうとする行政の姿勢なのです。当然住民がいなくなるのですから、消防団活動は縮小されるべきなのが、それに符合しない決定を下す団長がいました。それに対して意見を述べたのは、私だけでした。それに対して、議論も許さないという姿勢で臨んでくるのですから、呆気にとられました。幹部としての資質を疑うのです。立場がどうあれ、最終的に従うにしても、議論は必要でしょうというのが私の主張でした。
 たとえ、その事によって気まずくなろうとも、間違った方向に消防団を導いてはならないというのが本部分団にいる私の立場ということです。また、それに対しての嫌がらせか、後輩に二階級特進させて、私の上に置く人事までするのですから、呆れます。このことにも懲りずに、消防団で活動していこうとするのは、正しい使命の役割を模索しようとする私があるからであると思うのです。消防団活動は、役割が終わるまで歩む責任があり、勇士としての心構えを、肝に銘じなければならないと思っているのです。ともあれ、受けた悪感情を越えて、消防団としての使命に徹して、地域の人々の為に歩む事が必要であると思っているのです。
 ともかく、人生は冒険の道であり、難しい開拓の道であり、総じて闘いの道であることは間違いない事です。行く先々で開拓者としての役割を果たす事でありましから、厳しい人生であることは間違いないのです。個人的に、このような環境にぶつかっていく試練と戦わなければならないブラックホールもあるという事です。表題にも書きましたが、「強くあれ」は何を意味しているかというならば、「人情的なものは乗り越えなさい」という事であると思っています。それでこれからどうするかでありますが、「強く雄々しく」という事になります。最後の瞬間まで、役割を放棄するような姿勢は取りません。そうだからと言って、長いものに巻かれるような歩みもしません。何のために、極真精神を継承しているかということです。