2015年2月16日(八段語録2326)
無私の精神の必要性
息子は、朝の七時前には家を出て、中川接骨院で柔道整復師として修行を重ねています。道場の指導がありますので、午後五時には終えるようにしているようですが、それでも、その道のプロを目指す歩みをしているという事です。二年前に、仙台接骨医療専門学校を卒業して、国家試験に合格してからの修練という事になりますが、日曜日だけの休みで、祝日であっても、修行に出かけます。将来がどのような方向に向かっていくかは、神のみぞ知るというところですが、空手の修行が二十年と、柔道整復師の修行が学校も含めて七年という事になります。もう家に帰ると、疲れ切って休んでいますが、今年の八月には親父になる息子なので、温かく見守っていこうと思っています。
正直、こんなに良い息子に成長するとは、思ってもいませんでした。今は親子で話しても、しっかりとした信念を持って話し始めます。私の考えのオウム返しにはなっていないのです。むしろ専門分野を持っている分、知識として、新たなる発想を展開してきます。中山接骨院でも、利己心の顕現を克服しているようです。治療院では患者さんに対しても、仕えられるよりは仕えるという事の実践をしているという事です。中川接骨院の利益の為に自己犠牲ができるようになったら本物であるというようなものです。まだまだ、今の状況では世話になっているという事かもしれません。基本的に極真会館手塚グループの発想は、一般の自己中心的ルールには反しているという事です。家族ですから、当然ですが、私としては偉大な知恵であると思っているのです。
ところで、手塚グループの根本精神は、真理の神髄を突いています。完全な奉仕に対して、あらゆるものを習得して報われるという事です。この発想の雰囲気で、空手修行で身に着けている息子も、収穫が多いのではないかと思っています。修行は空手修行で、今まで慣れているのです。そして、いつの間にか、有段者になった息子であるから、あらゆる対応の仕方もできているようにも思っているのです。もちろん、親バカな事は承知しています。それにしても、息子が種を蒔いた如く、刈り取るような時期に来ているようにも思うのです。そういう意味では、私の関心は、どれほど修行して身に着けてくるのかという事だと思っています。今まさに、息子は自分を越えて、修行することによって、繁栄をもたらすようになるのではないかと思っています。
結論として、自分を越えた無私の精神が繁栄をもたらすのだと思うのです。自己中心主義で崩壊という悲惨な道を歩んだ人を多く見てきましたから、息子の生き方に一定の評価ができるのではないかと思うのです。そして、親が願う事は、最後の最後まで、中川接骨院で、職務を全うしてほしいという事です。途中で懐疑的になることだけは避けて欲しいのです。そうなることによって、すべてを失うという事になりかねないと思っているのです。それでも、道場の責任者になるにしても、子供を持って、育てて見ないと分からないという事でしょう。