2015年2月15日(八段語録2324)
人としての教え

 去年の宮城県本部仙台道場の門を叩いた入門生は82名でした。震災の時から比べて、やっと道場として、正常な段階に向かっていますが、まだまだ目標のレベルには到達していません。それでも、新しい入門生を迎えるたびに、私が築いてきた精神が、継承されていく事に誇りを感じる日々です。今年はどうかと心配することもありますが、入門する道場生に全力で投入できる体制は、菅野師範を中心として準備されつつあります。この道場は、個人主義を主張するところでは無いのです。大会に出場して、ただ道場を利用するという輩もいます。最終的には、誰からも何の助けを受けないと豪語して去っていきます。そのような、道場生は育成しないのが、宮城県本部なのです。もちろん早めに退会してもらいます。世間知らずもいいところです。世の中に自分の為だけに存在しているものは何もありません。
 さて、道場生に指導する事は、自分の為にだけ生きる利己的な人生ほど愚かな人生は無いと指導します。利己的な人生は、自分の為に生きているように見えますが、究極的には自分を破壊することに気が付いていないと断言します。私の道場では、三つの事を強調します。          一つは、武道精神で行きなさいという事です。具体的には、影のない良心に引っかからない生き方をするように指導するのです。昔の映画の丹波哲郎主演の大霊界ではないのですが、あの世に行ったならば、自分の生きてきた人生は録音CDが回るように展開するのです。という事は、地獄へ行くか天国へ行くかは、自分が決めるという事なのです。そのような意味でも、武道精神でもって、影のないきれいな生き方は重要な事です。
 二つ目は、本気で稽古することです。汗と涙は偽らないのです。すべて真実です。ただ、自分の為だけに流す汗と涙であるとしたら問題です。自分が稽古するのは、社会の為であることを肝に銘じなければならないという事です。自分の為だけに流す汗と涙は無意味です。
 三つ目は、言語、人種、文化の違いはあっても、すべて同じ人間です。誰もが家族同然なのです。

ところで、私は東日本大震災の時、貴重な経験をしました。地震が起きた時に、天変地異が起きたと思いました。そこで私の取った行動は、すぐに消防本部に行って消防団活動の準備をしたのです。そして、徹夜での救援活動でした。結局家族の事は後回しになったのです。それほど、緊急を要したことでした。ちょっと落ち着いてから、母が迷子になっていたり、家が半壊状態になっていたりしました。それでも、私の姿勢に悔いはないと思っています。時として、個人や家庭を犠牲にしなければならない時があるという事です。修羅場で被災した人を救うために立ち上がらなければならなかったと私は思っているのです。もちろん、家族の安否は心配でした。それでも、目の前の緊急事態が大事であると、当然の判断をしたのでした。人の生き方は、人の為に生きる人生の中にあると思うのです。私の取った行動はとるに足らなかったかもしれませんが、人の為にすることが人の道であると武士道は教えているのです。