2015年2月14日(八段語録2323)
家族としての関係
1996年からの極真会館宮城県本部の歩みは、私の役割が次第に重くなるにつれ、真剣になっていったのでした。最初は指導員、次に師範代、そして師範となるにつれて、心身共に、全力で生命を差し出しながらの闘いにならざるを得なかったのでした。道場生との組手の相手を積極的にしながら、自分の体に忘れざる傷が残ったとしても、大いなる勲章と思って指導したものでした。もちろん、稽古の厳しさに逃げていった道場生が後を絶たなかったことも認めるところです。
こうして、道場生に対して、私の姿勢はいい加減にせずに、全身で対応したのです。そうでなければ本当の弟子にならないであろうという気持ちがあったのです。こうしなければ、極真会館宮城県本部の伝統は立たないであろうという固い決意のもとに、道場生に対峙したのでした。だから、いつも指導においては、緊張した立場に、わざと自分を立たせて、この環境で極真の伝統を叩き込むという意識が強かったのでした。
さて、そのような信念でもって、指導者としての立場で歩もうとしたものですから、伝統を受け継いた弟子達が、増えるであろうと思ったのです。道場での指導に歩みは、死ぬような気持ちの連続でした。そうしなければ、決して基盤はできないであろうという信念でした。結果、素晴らしい人材が残りました。それが、今の執行部と指導員なのです。
結果的に切実な使命として、基盤を造らなければならないという気持ちと、忠誠心を持って、この身を捧げて爆発するという勢いだったように思うのです。そして、当たり前ですが、この道場の根本を師弟の関係に置きました。指導者というよりは親父に近い感情で接したのでした。師範が親父であり、道場生が子供という気持ちを徹底的に叩き込みました。なぜならば、道場生に対して偽物になりたくなかったのです。
そうしいるうちに、忠誠を尽くしてくれる弟子が産声を上げてくれました。月謝を払って習い事をするような関係だけではないのです。その絆が本物であるとするならば、宮城県本部は決して崩れずに伝統が継承されていくはずであるという、私の読みが当たりました。すなわち、私という中心者に、一つの線で結ばれ、一つのブリッジになっていくと確信するに至ったのでした。
これは高度成長期の会社に似ているのです。社長が父親の気持ちで社員の為に働き、社員は子供の立場で、親に対するような気持ちで働けば、その会社は発展して正しい会社になると一緒であると思ったのでした。当然、極真会館宮城県本部は、道場の発展の為にあるのではないのです。より大きな目標に向かって言っているのです。だから、道場に為に活動するというよりも、社会の為に良き人材を輩出することに誇りを持てる道場でありたいと思っていたのです。多くの優秀な人材が輩出されました。これからも、社会に役立つ人材が育ってくると思っているのです。
そのような意味では、宮城県本部には、一つの共通した法則があります。それは、お互い指導員が助け合い、道場生に対して愛情を持って指導しているという事です。それは、私の考えではなく、手塚会長の発想からきていることは言うまでもないのです。これは単純な法則ですが、どの極真道場よりも全ての内容においてレベルが違うところです。