2015年2月13日(八段語録2320)
誇り
今日は、畑の仕事から始めることにしました。苗を育てる時期に来ているのです。まだ寒いのですが、もうすぐ春ということです。今更ながら、極真会館で修行してきたことが幸せであると感じるのです。私の自覚ですが、創始者大山総裁が築いてきたこの伝統を私が引きついて道場を運営しているということに誇りを感じるのです。まだまだ極真会館は成長期であると思っています。これから弟子達や息子が、さらに継承していくということは、まだまだ発展は続くということです。もちろん、私も年齢を重ねてきました。地上に限られた年月しかいることができないことは理解しているつもりです。
それでも、私の人生は、言ってみれば永遠に一回ということです。いつでも又地上に生まれ変わって、出没するということでもなさそうです。そのことはとりもなおさず、極真空手に出会って、それを生涯の空手道を学んだものとして、生きているということ自体無限の価値があるということです。やはり、人は、一つのものを極めた人を大切にするし、尊敬もされるということを考えればいいということです。極真会館の創始者ではありませんが、その伝統を継承して、道場の運営にあたっているということに自信ができるということにもなります。自分にとって、このような人生を歩んでいることは歴史的事件ということです。
当然のことながら、極真の道を究めるのに、何もせずに過ごしたわけではないのです。一日八時間以上稽古することが毎日のようにありました。塩をなめなめサンドバックをたたき続けた日々も続きました。汗と涙と鼻水と流れないものは無いくらい流して過ごしました。その痕跡が、拳にそして脛に刻まれているのです。真冬でも汗がしたたり落ちていた日々がありました。そのような日々を送っての、今の指導者としての地位があると思っているのです。いつの間にか、手塚会長とともに世界を回るようになって、その歩みが、今になって生かされているのです。本当に真剣に稽古をすれば、よりよき人生が待ち構えているという事を実感する人生という事です。それだから、このように宮城県本部として城を構えていることができるのだと思うのです。
まさに、人生は、私の場合、極真会館でしたが、黄金とダイヤモンド以上のものが埋蔵していたという事なのです。その黄金をひっさげて、今生きているという事は、果報者の何物でもないという事です。そのような特権的人生を開拓したという事に誇りを持っているのです。別に具体的な地位や名誉という事ではなく、心の軌跡の世界を描いているのですが、それでも幸せな日々ということです。