2015年2月11日(八段語録2318)
会長との会話で考えた事

 二十六歳になる息子聖義を育ててきました。自分の子供を極真二世として、結果的に指導したことになりました。息子は五歳から極真空手の道を歩み続けました。聖義を指導するとき、「お前、立派な人になりなさい」と教えるだけでなく、「立派な人になるためには、道場で稽古をして、このようにするように」と直接指導してきました。師範としての責任を果たす事と、もちろん親としての責任も果たしてきました。そうすることによって、聖義は、ある程度わきまえて人生をいく事ができるようになりました。まだまだですが、武道精神の法度に外れない息子になっているようです。道場では、順序良く一歩一歩成長していきました。
もちろん、師範としては、自分の子供を後回しにして、道場生を育てることを第一にしてきました。それは、道場は和合、調和されなければならないと思ったからです。
 さて、私の道場生に対しての姿勢ですが、直接指導する前に、人知れないうちに、静かな所で、瞑想しながら、自問自答して解決してきました。道場生を慕い、自然を慕うような気持ちでした。長年、道場生に愛情を注いでいく道が師範の道であると思っているからです。ですから、普通の団体のような、飲み会とかは一切しません。あくまで、道場での神聖な修行の延長としての関係を持つ努力をしてきました。もちろん、私に対して非難して、去っていく道場生もいました。そのような人達にかまっている暇はありません。自由な社会ですから仕方がありません。そうして、二チャンネルで相当悪口を書き連ねられたものです。もう昔の話です。
 ところで、極真二世の指導者を目指す道場生に対しては、自分の稽古は当然のことながら、道場の為に何ができるかという事を問いかけます。結論がそれです。私の道場では、稽古をして、自分だけの主張をするような道場生は相手もしません。そのようなゴロツキは、私の道場では存在することすらできないと思っています。ましてや、代表師範の私や、執行部や指導員を否定するような道場生は、いくら段位が高かろうとも去ってもらいます。それだけの話です。道場は何の為にあるかというならば、社会貢献できる人材を育てる為であり、その道を、極真空手を学ぶために現れてきた団体が宮城県本部です。道場生として自分が、大会で優勝したからといって自分を主張するのではなく、道場の為に何ができるかという道場生を育てようと思っているのです。
 ですから、道場生は、道場を代表した自覚を持たなければならないと思っています。そうでなければ、他の団体の大会にも出場させません。あくまでも、道場で教育を受けた成果を表現しなければならないという事です。道場で教育を受けたのだから、道場に恩返しするような気持ちでなければならないという事です。宮城県本部と共に栄光に参与するような心を持たなければならないという事です。そうでなければ、他の団体に行けばいい話です。私の場合、結構苦労してきました。道場運営で、しなかった事は無いのです。誰よりも深刻な立場で、歩んできて、多くの人の反対を受けながら、今の勝利基盤を築いてきました。今でも一番下の方から、誰も道場生でできないであろうパンフレット配りから始めています。
そして、自分が及ぼすことができる影響が、どのように現れるかを中心に観るようにしているのです。