2015年2月9日(八段語録2316)
天命
ふと考えることがあります。私が学生として大学院で租税法を学んだ時期に、そのまま科目免除で税理士の分野に進出していたらどうなっていたのだろうかという事です。当初は大学院で会計と税法を収めたら、そのまま実務経験の二年を経て国家資格が与えられる制度でした。その分野での能力や実力を持ったのかもしれないという事です。それでも、その分野を目指さず、極真会館仙台道場の師範代の道を選択したのです。生涯かけて、極真の道を全うしようと決意するに至った背景は様々ありますが、税理士の資格を与えられる時期と同じような時期に宮城県本部の師範に就任したのでした。
では、私は初めから個人的な願望として、師範になろうと思ったのかというならば、そうではないのです。青年のもつ青空のごとき夢と希望、そして大志があれいました。しかし、極真会館という道にすべてを投入するという道を選択したのでした。知恵を使って、税理士の資格を取得しておけば良かったのにと、周りの人に良く言われましたが、退路を断って師範の道を選択したという事でした。それは、人生の選択として、自分に一番適合している、教育者という道を選択したのでした。それはこれからの極真二世に対して、正しい指導をしていきたい思いが強かったからという事なのです。
ところで、その選択は間違っていたかというならば、そうは思わないのです。金銭の扱いから、人の教育と方向を変えたという事なのです。それが私の成すべき使命として自覚したからと言っていいのかもしれません。当然、妻は四年も大学院で研究したのは、資格を取るためでなかったのかと言われたこともありましたが、天命に従って歩んだ人生という事に決断を下したのでした。私からするならば、人生の大半を極真会館で過ごさせてもらって、これからの役割は武道精神でもって、極真二世を育てるという事でした。先輩を見ても誰も正しい教育をしている指導者がいないという事も私の脳裏を横切ったこと他ならないのです。
結論として、この極真の道を選択したことに悔いはないのです。そして、このことで、世の中の人に迷惑をかけてきたという事もないのです。もちろん、子供達の声が迷惑だという事も言われました。当然その道場も退きました。それは、地域社会に暖かく迎えてもらいたいという気持ちが強かったからなのです。かくも混乱していく世界です。武道精神を極真で学んだ者としての役割はますます重要であると感じるのです。そしてそれは私の幸せであり、特権でもあると今は思っているのです。