2015年2月7日(八段語録2314)
生き方に対する思い

 仙台に来て、二十数年の歳月が過ぎてしまいました。この期間は、「開拓に開拓を重ねて、最後まで貫けば結果が見えてくるはず」という信念で貫いてきたように思います。使命を遂行するという事は、大変な事です。世間が受け入れてくれない状況から出発するのです。当然、両親にしても、「空手は片手だから両手で行きなさい」と何度も、経済活動を主体にするように警告してくれました。それでも、じっと忍耐し、試練を越えていく姿に親父も、「我が家の嫡男として相応しい」評価してくれたのです。それは家の手伝いや、この極真の道を開拓する姿を見て信頼してくれるようになりました。そうでなければ、簡単に嫡男としての称号を与えてはくれなかったと思うのです
 ところで、親父は、嫡男として、当然すぐには認めてくれませんでした。何でもひも付きというところでした。家を相続するという事でも、農業の手伝いをしたり、下宿の掃除をしたり、親父の送り迎えはもとより、徹底的に親父と行動を共にしたのでした。そして、息子に相応しいと親父が認めてくれたのは、特別養護老人ホームに送り迎えを行っていくようになってからだったように思います。それだから、地域の誰から認められようが、親父に認められるという事が一番うれしかったと心に刻んでいるのです。私にとって、父との最高の思い出は、親父に一人前として認められたということなのだと思っているのです。
 さて、私の最大の思いは、手塚グループの発展に寄与するのにふさわしい人物になっているかを査察することです。それは、今までの会長の弟子達の中で、ナンバーワンの貢献度が願いという事です。そしてこの組織は将来に残さなければならないと思っているのは、会長ばかりではなく、参加している師範達の気持ちであろうと思っています。個人的に、この団体を利用しようなどと思っている師範など、皆無だと思っているのです。もちろんそういう人でなければ、このグループに留まることなどできないのです。そんな自分勝手に振る舞う師範に変質してしまった瞬間、誰も見向きもしないという特別なグループだと思っています。
 私は、父親を天国に送りましたが、信頼され、安心して他界できるだけの信頼関係を作ったと自負しているのです。もちろん、足らない息子をカバーし続けてくれた父親であると思うのです。その絆を親父と作ってきましたので、会長とその信頼関係を一生の間築いていくという自信は、有り余るほどあるのです。極真の世界では、下剋上が当たり前になって、礼節も守れない師範達になっていますが、私は親父を安心して天国へ送ったように、これからもこのグループの為に貢献し続けていこうと決意しているのです。当然、離反すれば、すべての恩恵は消え失せてしまうという事を、色々な事例を見ながら学習してきました。そのような意味では、二人三脚で会長と共に歩むことを楽しみにしているのです。今日も、体験の子供達でごった返していました。会長が「仙台のやり方を見習いなさい」と語ってもらえるように頑張ろうと、「心」新たにしています。