2015年2月5日(八段語録2313)
夢食う会

 夢と希望が人生で標榜するキーワードになります。何を人生で求めるとしたら、十を行ったら十の実際の価値を求めるようになります。それは、理想を一致して歩める人、すなわち、グループにいて、規約として一致できる人、夢を完成させようと努力して、一緒に歩めるという事になります。このような環境になると、希望が持て、自動的に明るく生きていく事ができるようになります。公式的な原則がありますので、副会長としてやらなければならないことが脳裏に浮かんできます。今まで、脳裏に浮かんできたことを少なからず遂行してきました。もちろん、そのような行動には、妻からの批判もありましたし、尊敬されない事も多かったのではないかと思うのです。それでも、やり遂げようとしてきました。今後も続くと思います。
 さて、実際と希望について見てみると、いつも希望が先立つものであって、実際が先立つのではないようです。希望を強く抱くことによってこそ、実際の結果も大きくなります。しかし、希望と実際の基準は、いつも差があります。希望だけを望んでも、よくなることは無いです。実際の結果を望んで希望を求めるようになるのです。それにもかかわらず、人は実際をおろそかにして、希望のみを渇望しているので、お互いが食い違ってきます。そのような生活をしているのが日常であると思っています。
 ところで、私の場合、夢や希望が大半であるような人生を送っているようです。それだから、誰も信用してくれないという事にもなります。それでも、理想の成就の為に、絶対的な希望を持って進めなければならないと思っています。そういう意味では、良き家族としての組織が、私にとっては絶対に外せない望むものです。家族の目的は、良い道場生を出産していく事です。これから入会する道場生が、いい加減なヤンキーを望みません。ですから、このグループは、多くの道場生を大量出産できるようにすべきであると考えています。そのような意味でも、自分の全身、つまり心と体をすべて投入して、さらに投入して、行くべきであると考えています。
 話は横道に外れますが、若い時妻とデートをしたものです。デートをする中で、どれくらい妻を信じていけるのか、この人の為に尽くせるかと、心に思ったものです。そうこうしているうちに、好きになって、妻と共に歩むことに何のわだかまりも感じる事が無くなったのでした。とにかく妻に愛情を投入しました。結局二人が共に投入しあいながら、より大きなことの為に、望むことができて今まで夫婦で歩んできたという事になります。まだまだ夢の途上ですが、親になり、お爺ちゃんになり、良き希望を描きながら逝きたいと思うのです。