2011年11月16日(八段語録1502)

積極的人生観(75)
 久しぶりの稽古

 10月21日から、親父の喪主を務め、ロシアに行き、県会議員の選挙の副本部長を務めるなど、多忙な毎日を過ごしてきたのです。そして久しぶりに、長町の子供達とご父兄にお会いすることができたのです。忙しくしなければ、親父の死を受け止めることができなかったかもしれないのです。それだけ、親父の背中は広く、大きかったのです。青春時代までの親父との絆を書いてきましたが、今はそこで止めておきたいのです。理由は、小さい時から青年時代までの日々は、もう既に思い出になっているのです。思い起こさなければ、忘れてしまうかもしれないという気持ちになっていたのです。実家に帰ってきてからの親父との絆は、今でもリアルなのです。それも二〇年の歳月があるのです。それを宝として、今は表現するよりは、心の中に留めていたいというのが本当の気持ちなのです。 
 稽古では、ちょっとハードな練習になりましたが、精神統一を目指したのです。スポーツではなく、心の成長を主眼点において指導しました。確かに肉体は疲れたと思うのですが、気持ちを途切れさせることなく、自らを律する世界の追求でした。突きの千本が終わることには、武道家として心構えが見え隠れするのです。さらに、蹴りの千本に至ると、上がらない足を気持ちで引き揚げ、自らの精神の戦いに挑んでいました。道場内は、暖房もなく、寒さの中での精神修行になったのでしたが、道場生は熱気に満ち溢れていました。技の研修では、パンチと蹴りが良く出ていました。左右に動きながら、基本で鍛えた技を思う存分出し合っていました。最後の仕上げは、組手です。みんな真剣に技を出し合っているのです。この指導が私の目指すところに、武道精神の相続と発展という事になるのです。
 夜の部では、いつもの壮年が集まっていました。私の話のテーマ家庭であり、妻という事になっていったのです。究極的に良き家庭を築き上げていくというのが、壮年としての願いであることに間違いないのです。妻の話に、ある社長は、理想の女性であったと告白していました。「こうであってほしい」という理想の姿が良く表現されていました。聞いていて、このような心の絵が奇跡を呼んでいるように思えているのです。そして、究極の指導である浮気問題に関しては、盛り場での女性の接待を受けても、決してぶれることのない姿勢を貫くゆえに、聖域を周りに張り巡らしているというのでした。いろいろ話は盛り上がりました。妻からの怒りの試練も黙って忍耐できるようになったと言って話してくださいました。夫婦という密接な関係がより、家庭事情という事で更に、深まっていくようです。この社長の場合、「よくあなたはどうしてそうなのか」「お前こそ・・・」というなじり合いの関係に入ろうものなら、双方とも指摘が正しいと思うので、このゾーンだけは突入しないように忍耐の姿勢を崩さずにいるようです。見事にこの関係をクリアしていたのでした。まさに、黒帯に近づいているという気持ちになります。
 私の場合、妻との絆がいつもあると思っております。見えない糸で結ばれている関係なのだと思うのです。結婚指輪ならぬ、愛情の絆が糸でしっかり結ばれているという実感なのです。妻との結婚は、この世の結びつきの内で最も聖なるものと思っております。敬けんと聖なることへの深い理解を持って結婚に入ったことを今更ながら思い出してしまいます。ここが私の新たなステージの発射台になっていた事は間違いないのです。