2015年1月31日(八段語録2307)
自分を探す道
一月も最後の一日を残すのみとなりました。娘のマンション引っ越し、リフォーム、家族が忙しくしているのですが、私はきざわしい思いだけをしている一日になりました。まずは、トレーニングという事で、汗を流して、心身の練磨という事です。ランニング、柔軟、体幹を鍛えるべく腹筋から背筋、それからサンドバックでパンチの練習をして、ざっと二時間汗を流しました。特に、右足の股関節の神経が病んでいるので、念入りにトレーニングです。それでも、六十歳を超えてからも、「真の私」探しに邁進という事です。今日も極真精神の私を決定して、心を世界中に一騎駆というところです。とにかく、しっかりとした私になることが、すべての段階の一番の基準になると思っています。
さて、そうして、今月も闘いを終了しそうです。日々心の葛藤という事でした。安住する心、行く道をしきりに止めようします。「背を向けなさい。昔に帰りなさい。」と。ですから、私の空手のトレーニングは仏教でいう「座禅」という事なのです。悲しいマイナス的生活をしないようにするのです。このような気持ちを払しょくしようとするのが、私のトレーニングの目的という事になります。ですから、日々の生活に、いかに酔いしれて生きようと発想するのです。そうであるからこそ夢を追いかけようとするのです。ちょっと疲れる生き方ですが、気性ですから仕方がありません。
ところで、今日は息子夫婦の六周年の結婚記念日でした。聖義19歳、茂奈17歳の結婚ですから、これも心配で仕方がありませんでした。ニューヨークの結婚式場で、家族だけで式に臨みました。茂奈ちゃん家庭と私達だけの式でしたが、それでもマンハッタンの夜の寒さと、夜景が印象的でした。そして、六年を過ぎて、12月大晦日に「おめでた」の報告を受けたのです。25歳になる息子が頼もしく思えたのでした。世の中の人が求めるのは、良いものを食べて、良いものを着てという事かもしれませんが、修行の道を行く私にとって、息子夫婦の「おめでた」のような、愛情を訪ねていく事が生活の目的になってしまいます。生活の方便ではなく、行く道が本質であり続けたいと思うのです。
一月も、しっかり生きようとしました。家族・道場生・地域社会の人達から、評価されましたが、四方から測定されて、自分の立つ位置がどうであるかという事がはっきり出ているのです。しかし、世間の評価と自己評価は違うので修正するという事も必要になります。私の場合、謙虚に生きるためにも四方から零度の位置を探さなければならないのです。原点がそうでないと、誤解されます。原点の基準が百八十度なのに、回してみて基準が他の所にあったりして、百八十度になっていないという事です。結婚式六周年の家族での食事会の後、茂奈ちゃんと話す時間を持ちました。さらに息子の嫁さんに愛情を注ぎたいと思いました。