2015年1月29日(八段語録2305)
貫く姿勢

道場の中で、どのような立場で生徒に同行するかという事です。評価の基準を育てる生活が、私の歩みになります。これが私の財産であります。今後新しい世代が引きついて、主人公になるのか、あるいは落伍者になるかを決める境界線であると思っています。私にとって、勝利するという事を決める基準が必要になっています。使命を完遂できる出発の基点が必要です。全国に優秀な師範が育つようになってきました。仙台でも道場の指導者は、社会的地位のある人達が占めるようになってきました。道場生の質的向上と量的拡大が伴うようになってきました。これが、私が道場を運営する上での勝利基準という事になります。
 さて、私が目的とするところを実現させるという事は当然の論理という事になります。それゆえに、優秀な弟子達が、最後まで道場での環境で成長できるようにしなければならないという事です。そのためには、私自身が集ってきている弟子たち以上の修練を課して成長しなければならないと思うのです。そのことが、私自身の勝利の基準という事です。弟子達に営利目的で指導しているというような評価を受けてしまったならば、道場を閉めるしかない立場であります。
 ところで、私の毎日の闘いは、道場生を背負い、愛情を全力で投入するところにあります。日々の生活で、そのような闘いが私の最大の関所となっています。そのような意味では、いつも問題視しているのは、私の生活の姿勢であります。このことを念頭に置いて、道場の指導に当たっています。もし、ここに問題が広がり、一つの方向性の基準を中心として相容れない事が広がるようになるときは、道場として前進できなくなってしまいます。すなわち、自分の心に道場生をいつも迎え入れるような姿勢を持たなければならないという事です。
 このような観点で日々闘っています。ある意味でいつも困難な課題の連続です。今は、勝利の基準を備えたという立場に立っているという事ができません。というのは、一番大きな問題としては、道場の指導者と一つになって道場生を愛情持って指導するという事です。そのことを自分自体の中で決定する一時を持ちながら歩んでいるというのが正直な気持ちです。私は極真を極めようと今も必死になって求めています。真を求める心で歩んでいるのです。そのような闘いは、会長と私が同じ方向に向かっている確信しているし、極真会館手塚グループが長く存在するための闘い方であると思っております。