2015年1月27日(八段語録2303)
道場生の家庭に代わって

 今の道場生の家庭の嘆きは、両親のある家庭として参加していないというところにあります。小学校の教育環境でも三分の一近くが、母子家庭という事です。このことは、極真会館宮城県本部においても、そのデータよりも多くなっています。そうだからと言って、道場生が愛の歪な人格を形成してはならないと感じるのは、私ばかりではないと思います。そして道場生に対しては、より生きがいを持って毎日を過ごしてもらいたいと思うのです。そのような意味では、手塚グループの理念を持って、現実を乗り越えていく事が、道場へ通う意義であると思うのです。 
 さて、道場生にとって一番の中心になることは、指導員や道場に対しての信頼です。これまた明確ではないように思うのですが、信頼の立場を越えて、空手道を通じて、色々と指導者から体験するように「知る」ことであると思うのです。平たく言うならば、生き方の標本を示し、道場生が家庭や学校で生活することができるようにするという事です。もちろん、空手道を教えるわけですから、礼儀作法はもちろんのことながら、技術面の習得という事、さらに心身を成長させるという事が願われることは当然なのです。そうでなければ、道場での修練は意味をなさないという事になります。
 ところで、道場生にとって、自力では何も学ぶことができません。しかるに道場の指導員や先輩から色々と学び取っていくのです。そのような境遇に置かれているのが、道場生であると言う事です。私もそのような道場生を放置することもなく、指導しながら責任を負っていくのです。全ての道場生は、私と連結されています。道場生が成長するのも私に掛かっていますし、成長ができないとしたら、これも私にかかってくると思っています。もちろん、その道場生が成功するのも、成功できないのも私にかかっていると思って指導しています。道場で習わせる親の立場として、子供に最高の目標に到達して欲しいと願うのは当然のことですから、叶えるための努力は必要であると思うのです。
 結論として、このような素晴らしい道場生に成長させ、最高の基準に到達させるには並大抵のことではないと思います。年数を重ねれば重ねるほど、マンネリ化して、本来の目標を失ってしまいます。一生の間、極真空手を続けてもらうためにも、私が見本を道場生に提示し続けなければならないと思うのです。道場生も多くの人が門を叩きますが、最後まで行こうとすると、だんだん少なくなってしまいます。そして、私まで到達するのは難しい事です。手塚グループの理念は並大抵な事で成就することは難しいのですが、たえず挑戦という事です。