2015年1月26日(八段語録2302)
手塚グループの未来
私の手塚グループに対する意識は、今までの大山総裁時代の師範達とは異なります。今までは、総裁から開拓地に派遣されて、そこで道場を開いて開拓をして、極真空手を広めるという役割を担っていたのです。私は、1975年からはもうすでに、高木道場の門を叩いていましたから、その状況はことさら詳しく理解することができます。映画や少年マガジン、あるいは様々なマスコミの活用をしていましたので、道場生は列をなして、極真空手に入門してきました。北海道でも、入門者が一日多い時には、数人から十名を超えるほどの人が高木道場の極真の門を叩いたのです。
さて、私の知っている高木師範は、北海道の極真の支部の責任者という表現はしていませんでした。次の総裁候補という事をいつも力説していました。もちろん、そのことを豪語するだけの不眠不休の闘いをしていたのです。審査会の時などは、北海道各支部から百名位以上の人が本部道場に集まって、貸布団を借りて、道場に寝泊まりしながらの審査会をしていました。多くの道場生の審査をましたが、大山総裁に審査料を支払っていたかというならば、水増し状態であったようです。ましてや、黒帯の審査をして帯は出しますが、総裁からの認定状は、全くもらっていないという事を黒帯の先輩達は話していました。それだけ、北海道、いでは神格化されて、北海道では、大山総裁以上の立場であったであると伺い知ることができるのです。そして、法人にはしていないこともあって、自由な使い道であったと認識しているのです。
ところで、大山総裁時代の師範と私の違いはというならば、会員登録はもちろん、審査会、昇段審査、そして空手着といった細部まで、すべて会長に報告します。もちろん、現状の道場運営の状況も事細かく報告します。大山総裁時代の師範とは違って、漠然として、報告したのではく、正確に事務連絡をします。まして、私の道場は法人格になっていますので、税務署に報告しますので、一切の不正はできないのです。それも、三十年間は、その経理内容も保存されるのです。そのような内容を、全国の支部長にも追随を願って話し合います。それが、一年でもなく、十年以上の続いているのですから、これからもこのような体制を維持しようと思っています。
このように、手塚グループから絶対に離れて、道場を運営するという事を一切しないのです。活動することさえしないと断言して出発しているのです。そういう意味では、いい加減な極真会館の先輩師範が行ってきた道場運営の全てを修正して、正しい健全な組織体制を作ろうと思っているのです。それは、家族であるかという一点に他ならないのです。したがって、会長と師範が一致したところに連結されなければ、責任を完遂することができず、手塚グループの目的を達成することができないと確認しているのです。最も大事な事は、会長と師範が一致しなければならないという事です。そうだからと言って、対話して納得するところに、信頼関係が生まれると思っています。ただ、私の場合法人を機能させて、しっかり税務署に提出していますが、社団法人の場合にもどうするかを明確にしなければならないと思っています。