2015年1月20日(八段語録2299)
久しぶりの友人

 私の三十代を応援してくれた友人に今日は会う事ができます。実に三十年ぶりという事です。電話では、いつか会う事が会ったらいいという事を話していましたが、今日がその時を迎えたという事です。この友人は、実に私の個性を認めてくれた方で、仕事仲間でもありました。色々と相談もできたし、親分肌で、信頼して任せてくれるタイプでした。和歌山にも釣りによく出かけました。大物釣りに行って、ブリやカンパチという体力勝負の釣りを良くしたものでした。その友人と今日会うのです。心はもう昔に戻ってしまいます。
 この友人とは、刺激的な歩みをしたのです。私の極真空手という厳格な鍛錬の仕方を支持してくれました。習慣的に依存しない私の姿勢を評価してくれた友人でした。肉体を鍛錬することに、充足感を持って、生活していた私の事を理解してくれていたのです。私のように、極真空手に心酔しきっている存在も、煙たがらずに対応してくれたことになります。思い出に残る友人とは、最大限人格を認めてくれる人であろうと、振り返って思ってしまうのです。内容が私に在って、何かできる能力を持っていることが、価値があるという事ではなく、その歩みそのものを評価してくれる友がいるという事が非常に力になったという事です。その友人とは、競争という意識がほとんど無かったのです。ただ頼もしく支持をしてくれていたのです。
 ところで、このような私の生き方は、この友人から始まって、今では多くの弟子たちが支持してくれるようになりました。極真会館でもメジャーではない生き方という事です。外的に強くなるという事は、当然ですが、体を鍛えますが、この体を引き寄せて、体が広がり、欲望を広げて、行動するという事は避けて通りました。あくまでも、体を鍛えて、心をゼロに戻すという事ではなく、体を引っ張るようにして、心に降りていくようにしていたのです。つまり、鍛えた体をなくして、心を前面に立てていくという戦略でした。そこに到達するために、最大の至誠を尽くすという事をしていたのです。
 結論として、肉体を鍛えて、それ以上に心を投入するという戦略でした。純粋に肉体を鍛えるという事を、坊さんの滝での修行のように思ったものでした。それだけに、多くの人に奉仕し尽くすという事を実践したという事になります。「俺が俺が」の世界が主流の時代だけに、一国の城主になるのではなく、隅のかしら石になろうとする姿勢を貫いたという事です。正門の柱にならず、垣根の柱という事です。今もその姿勢を貫いているのも、このように見守ってくれた友人がいたからであると感謝しているのです。