2015年1月18日(八段語録2297)
希望を抱く生活

 空手道とは、信じて敬い、仕えることを学ぶという事です。その限界に挑戦するために、必死になって稽古をするという事です。忍耐の極限、克服の限界線がどこにあるのか、じっと乗り越えていく為のものなのです。妄想ではないのです。具体的に修練しながら勝ち取っていくのです。自分を考えると限界が生まれてきます。自分を忘れていくようになるときに、より大きな希望を抱くような生活が待っているのです。この希望を抱くという事は、エネルギーを充満させることであり、火の玉となって、人生に取り組むという事であります。
 さて、心身の練磨に取り組む空手道という事になりますから、希望を抱くという事に関しての、土壌づくりには、最適であるという事です。道場生は、より大きな希望を抱いて、目標に向かって、意志を固めるべきです。公的に道場で修練するとい事に全力を傾けるべきです。そして、そのことを、自分の夢にどのように展開させるかを考えるべきです。希望を持つという事は、空想することで終わらせてはならないのです。行動の結果として表すためにも、創造的冒険をしていく事を、掲げるべきなのです。心身が冷えていては、どうしようもありません。
 ところで、希望を抱くというは、妄想ではないと書きましたが、ここに修練が必要になってくるのです。何故ならば、現実の環境があるわけですから、その環境と不断に戦って理想を現実化させるための冒険の生活をしなければならないのです。したがって、希望を抱いた生活とは、最高の開拓者の生活であり、最高の闘争する者の生活であり、最高の空手マンとしてのモデルとしての歩みという事になるのです。そのようにして、希望が結果として、現れてこそ、最高の勝利者になることができるのです。道場生の皆さんは、そのような、空手修行をしなければならないのです。
 結論として、自分自身が、自分を信じ、自分が自分自身に望みを託し、自分自身が自分自身を愛しながら、家族に対しても、希望を持って歩む自分を見て、喜んでもらえるようにしなければならないのです。そして、師範も、両親も、お前の生き方が、素晴らしいと、言わせしめることができなければならないという事になります。空手道を実践することが、これであり、人生を充実させるという事がこれであるという事に間違いないという事になります。そのような人生を歩むことによって、家族と共に相まみえるようになるという事です。