2015年1月10日(八段語録2292)
忠告と指導の必要性
何故空手道が必要かというならば、結局は人間完成の為です。特に極真空手は、世界を標準としながら、そのために指導者が必要であるという事です。この極真空手道で多くの弟子たちが成長する為に環境を整えて、世界に連結しなければならないという事です。そのために、自分が置かれている位置をしっかり認識しなければならないという事です。そうすることによって、実感的にあらゆるものを感じる事ができるようになるのです。私達にとって、この極真が、世界と自分を一致させていく訓練道場であるという事です。
さて、極真で実を結実させるということは、空手道として、原理原則をしっかり形成されるところから起こります。無茶な試合やプログラムは、私は好みません。裏付けのない奇跡を考えていてはどうしようもないのです。執行部のいう事も聞かず、試合に出て、自己満足をするようでは、どうしようもないのです。そのようにして、試合に勝ったとしても、その家族は決して良くならないのです。その家族がどうなったかは、その子供が良くなったと聞いたことは無いのです。盲目的に要求した後は、必ず盲目的に要求した代価を、その家庭と子供が払うようになるのです。
ところで、ある選手会のメンバーが、そのように、執行部の言う事も聞かず、試合に出たとしても、自分自身が、試合に出て願ったような選手の成果になることはできないのです。極真会館宮城県本部の道場で頑張っても、その人自身が受けた精神が侵害されてしまいます。基盤がなければ、一度に崩れるのと同じようになります。勝手に試合に出ることは良くありません。それは、多くの犠牲の代価を払っても、一度、にっこり笑うだけで終わってしまうのです。
試合に出るという事は、道場の執行部や指導者の協力をえて、喜んで出るという事です。私は、かつて、多くの試合に出ることを認めていましたが、運動生理学を学ぶにつれ、大会は一年に六回程出れば、十分であると思うようになっています。そうでなければ、肉体を酷使し、せっかくの選手寿命も短くなってしまいます。もちろん、子供の成長に良くありません。しっかり、試合にも準備ができなければならないのです。大舞台であればあるほど、しっかり準備期間は必要になってきます。
結局、執行部が経験して、何が必要なのかを熟知して結論を出しているわけですから、悪口を執行部が言われたとしても、じっとしています。完全に準備しておいて、大舞台である試合に臨んでいくという方向性は、これからも変わらないという事です。