2015年1月8日(八段語録2290)
武士道
人々の前に希望とする望むすべてを表せるように、実証的に行おうとするのが、武士道精神でしょう。人生は苦杯の多い歩みです。しかし、私の思い以上に、より前進していかなければならないというのが、武士道精神を持った極真勇士という事になります。私が歩む人生が理想に近づいていることを日増しに実感していくというのが、私の心意気です。確かに肉身の死が近づいているのは年齢を重ねているという事で感じるのですが、新たなる望みを感じ、その世界を憧憬したいという事です。私の理想や精神は、このようにブログに書いているがゆえに、弟子達や子供に受け継がれ、私自身が、のちの道場生や子孫と共に生きていけるようになりたいと思っているのです。
このように、私を中心に根、幹、葉が連結されるようにという事です。もちろん手塚グループですから、家庭を主流にして、中心の根、中心の幹、中心の枝、中心の葉がすべて一環とした流れになるようにしたいのです。それは、死んでも生きているという事です。放っておいても、そのまま進むようにという思いを込めて、念じているという事です。それだからといって生きていく事を放棄するわけではないのです。だから、そのようにする為にも根拠のある生き方をしたいのです。
ところで、世の中の活動をするのですが、最終的にどの方向に行ったらよいのか判断ができなくなるように思うのです。真のものが偽りのように思われ、偽りのものが真のようになる現象もあります。また、偽りが優勢になり、真が劣勢になる時代、偽りが盛んになり、真がこれ以上ないほど微弱な状態になる時代が来るという事にもなります。ともあれ、この地域で生きていこうと決意しているのですから、判断を確かなものとして前進する以外に無いという事です。
結論として、ありがたい事に、極真空手に出会って、一生懸命修行をするという恵まれた環境にいるわけですから、しっかりと修練しながら、自分が極真精神で歩める限界を求めて、推し進めていこうと思うのです。武道精神、この伝統的な精神に出会った事は、私にとって未来を切り開く礎になることは間違いない事で、頼もしく歩んでいきたいという気持ちになります。今日も自分自身に課題を課せながら、歩もうと思うのです。修練は、試合に臨む以上の決意をもって、鍛錬するという事になります。自分を偽ることなく、本物を求めて前進です。いろいろ書くのですが、やはり硬い文章という事でしょうか。誰も読まないよと妻に言われそうですが、それでも正直な気持ちですので書き留めておきます。