2015年1月6日(八段語録2288)
消防出初式

 今年も、消防の出初式が行われました。安全・安心の街づくりという事を意識して、火事や災害のない地域にしていこうという決意をさせていただきました。そこで、私の消防でのポジションは、梯子乗りにおける纏という事になっています。もうかれこれ纏を振って10年以上になります。梯子乗りたいが7団ありますが、もうほかの六団は人が変わっていて、古株は私一人という事になってきております。この街に対して、役割分担として、多くの役職を頂いて、尽くさせてもらうと同時に、この街を心から愛するという信念を見せる出初という事です。
 さて、この街の使命に関して、とても大切な事ですから、それなりに一生懸命なのですが、消防で去年は気持ちの試練に出会いました。もちろん自分で整理しなければならないことですが、つまらないことですが書き記します。当然、本部分団部長としての役割を全うすればいい事なのですが、人事における人間関係で、困惑したという事です。別に無視すればよい事で、部長としての責務を全うすればいい事です。あくまでも、責務である使命の全うに全力を尽くせばよいということです。他の煩いごとに関しては、人格が伴わないので、一応無視という結論に至りました。
 もちろん、ぎくしゃくはしますが、愛情は伴うに至らない自分の未熟さを認知しながら、過ごさなければならないという事になります。それでも、忍耐の文字を心に刻みながら、使命を全うすることに最大限に力を投入するという事にするのです。使命に徹するという事を意識して、人間関係の円滑さは、ちょっと後回しという事にするのです。もちろん、自分の未熟さゆえですが、信頼関係の保てる人間関係を第一にしていきたいと思うのです。別に権力闘争をしようとするわけではないので、限りなく、自分の姿勢を貫くという事になりそうです。
 結論、自信とプライドを保つという事でしょう。「一人立ちても、尚強し」という事になります。孤軍奮闘も、結構味のある闘いです。この戦いも自分が求めていく闘いです。自分の程度に合う戦いをするという事です。今は自分の心の状態の基準に留まっているという事です。そうだからと言って、ポジジョンや使命を離れるという事は毛頭ないのです。いずれにせよ、人格の完成の途上ですから、許される面があると思うのです。それだからと言って、愛の分野の完成を放棄するわけではないのです。あくまでも避難行為という事になります。理解のできない文章が並んでいると思いますが、人類共通の克服材料という事です。