2015年1月3日(八段語録2285)
広島のおばあちゃんからのお年玉

 還暦を過ぎて、八十過ぎの広島のおばあちゃんからのお年玉でした。びっくりしました。おばあちゃん曰く、千順さんの母ではありますが、息子に上げるという事でした。おばあちゃんは、心の門では、既に息子になっているのだという気持ちなのでしょう。そのおばあちゃんは、去年の十二月から、白内障の手術の為に仙台で過ごしているのです。今年の三月まで、一緒生活することになりました。そのおばあちゃんは、毎日散歩はするし、日誌は書くし、その生活の仕方は、しっかりしているのです。なるほど、千順さんの親であると思うのでした。
 さて、日々、時間の過ぎ方が違うのです。時間によって、感じ方も違ってきます。心の状態も違うのです。手塚会長からの電話、師範たちからの電話、それぞれ心が違うようです。色々な刺激によって、感じる基準が違うようです。この肉体をもって常に感じる感度が替わるようです。今日の収穫は、広島のおばあちゃんでした。お年玉という事もありますが、心の門がぴったりと波長が一致したのです。おばあちゃんの心の門と私の心の門が出会い、心が満たされました。この感動は、一瞬にして忘れてしまうので、文章にして記述していると思うのです。なぜならば、私にもボケが入って、忘れやすくなっているのです。書いておけば、再び蘇ってくると思うからです。
 ところで、こうして書き記している理由があります。私の場合、気持ちが飽きやすいのです。つまり続かないのです。ですから、文字にして、心の面を調整する生活をしているという事です。記述を読んで、再び心の面を呼び起こそうとする作戦なのです。平衡を築いて、知的にも情的にも和合できるようにと言う思惑があるのです。現実の現状を心に反映させる調整を取っているということなのです。そうでなければ、過去の大切な気持ちを忘れてしまいそうだという事なのです。
 そうしないと、日々が流されてしまうように思えるのです。この記述は、自分にとっては、偉大な力を持っていると考えているのです。極真の師範になって、十四年、たゆまぬ道場運営をすることができる原動力は、このような記述を読み返し、信念をもって、自分の道を切り開いて来られたのです。自分の歩みは正しいのだろうかと、自分が書いたブログを読み返しているのです。そうしてこそ、信念をもって最後まで推し進めることができたのです。この信念が曲がらず、崩れない限り、いかなる試練と波風がぶつかってこようと押し進めることができると思うのです。今日のおばあちゃんからのお年玉は一生忘れることができない思い出になります。それを言いたくて、くどくどしく書いているようです。