2015年1月2日(八段語録2284)
何のために生きるのか

 自分の生涯を振り返ると、愛情の足跡を残したことになります。愛の墓石があるのです。これが、結論です。墓はうんざりしますが、愛情の中で生きてきたという事を思えば、悔いはないのです。王宮に住んだこともなければ、そのような待遇を受けたことのない人生でも、全く後悔はないのです。水晶のように清く生きてこそ人生であるという結論です。どこまで研ぎ澄ますかという事が自分の戦いです。自分の魂に傷を残すことが無いように生きようと決意するのです。そのための極真空手であって、強くなるには、もう手遅れという事ですが、それでも、これからの空手道の人生は、私のライフスタイルという事です。
 自分自身が透明になるように、全て表に現れて見えるようにするのです。ですから、これからの生活を本当に正しく生きようと思うのです。一日何十回も反省しながら、自分の良心に引っかからないように歩もうとする自分があるのです。もちろん、肉体は間違いなく衰えていきます。それでも自分だけを考えず、健康を維持して、今日のこの時間も、どんなに大変な事が降りかかろうとも、明日の為に今日実践して、訓練をしていこうという姿勢を維持するのです。それゆえの空手道なのです。今日満足して、今日が良ければ良いという事になれば、それで終わってしまいます。
 ところで、明日の立場から今日を考察できれば、まだまだ準備が足らないと思うはずです。自分の利益ばかりに酔いしれているようでは、すべてが敵対されるようになります。より大きな理想に向けて歩んでいってこそ大事になるという事でしょう。もちろん、愛情を体験しようとすることに余念がないのです。そのために愛情に満ち溢れた家庭を維持するのは、私の役割です。私が持っているものは、私のものではないという気持ちのもとに、恥ずかしくない家庭人としての歩みが、まだまだ続くのです。
 今日も実感するのですが、世間はそんなに甘くないはずです。厳しい自己管理だけが頼りという事です。そうでなければ、自分は曖昧になってしまって世間に飲み込まれてしまいます。そのために、どのように生きるかという事です。高く貴いと思うことについては、頭を下げていくという事です。そのような事で、多くの人に心を通じることができる今年でありたいと思うのです。そうしなければ、生きていく意味がなくなってしまいます。心を砕いて愛情のある豊かな日々を送れるように、生きようと思うのです。