2011年11月10日(八段語録1496)

積極的人生観(69)
 選挙戦七日目 宮城県更生保護大会

 午前中に今野事務所に出かけて、候補者を見送ったのでした。候補者の今野先生は、一級認定の障害者なのです。選挙民が手を振ると、今は走って行って握手するのです。医療の進歩の目覚ましさを感じるのですが、それ以上に、今回の選挙にかける今野先生の執念なのです。人は勝負をかけるときには、全ての神経は研ぎ澄まされ、超越した能力を発揮するのだという事を目の前に示されているのです。
 ところで、今日は、保護司の委嘱を受けてから十年目の区切りの時を迎えているのです。今日というこの時に、思いもよらない受賞の栄誉を受けたのです。東北更生保護委員長からの表彰なのです。保護司になって四回目の受賞です。私の受賞歴は、中学校の時の地域活動で警察署の受賞があったきりでしたので、保護司になってからの今回の受賞を含めて、社会に貢献することの意義を深く自覚させていただくことになったのです。
 今回の授賞式は、宮城県岩沼市でありました。岩沼市は、津波で市の三分の一が被害にあったところなのです。それでも八か月を過ぎた今、このような更生保護県大会を開くまで復旧してきているのです。県内の東日本大震災での保護司の犠牲者が二十名であるという報告がありました。一瞬の出来事が、多くの犠牲者を出すという惨事に胸が痛むばかりです。
 授賞式は荘厳の内に執り行われました。十年の歳月を過ぎて、受賞となると、前列二列目に位置するのです。演壇とは距離がないのです。緊張する趣で表彰状を手にしました。受賞したことにより、更なる決意をするのです。罪に陥った人たちの救済はまだまだ続くのです。そして意欲は増すばかりです。さて、私の更生保護の役割を終える年齢は、七十五歳なのです。その年まで全力疾走をしていこうと思うのです。もちろん、ありがたい事に、ご褒美もあります。二十年の歳月を命懸けに任務を果たすとすると、法務大臣賞を頂くのです。勲章のようなものと、表彰状には重みがあります。そこで、十年間を精一杯更生保護に貢献する覚悟と月日を過ごしていきたいと思っているのです。
 この年齢が六十八歳という事になります。この年齢から、保護司会活動において、執行部の役割をして、世話人、まとめ役として働きたいと考えています。そうすることによって、七十歳を過ぎた段階で、叙勲という栄誉なご褒美が待っているのです。そこまでたどり着くことができるかどうかはわかりませんが、目標にしているのです。天皇陛下より、春か秋の園遊会で皇居での授賞式に出るのが夢なのです。たわいもない事のように思われるかどうかわかりませんが、自分を律することが最大の懸案事項になるのです。レールは出来ているのです。ひたすら利他主義に生きるのみなのです。
 この内容と同じことを極真会館で実践してきたのです。期間はもう少し短かったのですが、極真会館で白帯から黒帯を目指すという事でした。多くの人が夢かなわず途中の帯で姿を消していったのです。たかが十年近い目標だったのですが、多くの人は果たすことができませんでした。多くの先輩と体格に恵まれて二十八歳の時に黒帯を頂いて、免許皆伝になった時は天に上る思いが致しました。忘れることができない思い出なのです。困難な道をひたすら歩み続けて、ブラックベルトを締めた時に、誰に誇るわけでもなく、自信がみなぎり溢れたのを思い返すのです。
 その事を、人生の中盤戦で実践しようとするのです。七十五歳までは、中盤戦と位置づけています。この歳を過ぎるときには、もう少し世界的な舞台が待っていると思っているのです。そのような夢を実現しようとすることのみが今の自分の生きがいになっています。
世界的な舞台とは、取りも直さず、極真会館での世界の人々を武道教育していくという事なのです。そのような夢を持てる自分に感謝するのです。