2011年11月7日(八段語録1493)

積極的人生観(66)
 選挙戦四日目

 序盤戦が終えて、あらゆる課題を明確にしている段階なのです。自分なりにこの選挙戦で感じるものがあるのです。それは、一度人間関係を築いたら、最後まで貫き通していくべきであるという事なのです。今野先生との関係は、極真会館を一番町に構えてからの付き合いなのですが、十年前に、色々な人間関係のしがらみを整理した時に、宮城野区から一から始めた経緯があるのです。その際に、一度疎遠になったのです。今野先生からするならば急に疎遠になるので、何という事かという疑念の念があったに違いないのです。まさに、独り立ちの時期だったのでした。
 原因があったのです。極真会館仙台道場で窓際に追いやられた時期に相当します。十年前は、現場のオーナーとのトラブルになりました。息子を道場の責任者にするというのです。そうすると私という人間は、他に移らなければならない状態になったのでした。そこで、拠点を置いたのが地元宮城野区であり、榴ヶ岡軽体育館という事になったのです。そこから、極真空手の普及活動を展開しました。無我夢中というのが正直な実感です。初めに、基盤になってくれた人たちが、袋原内科の熊谷医院長であり、佐々木薬剤師、森事務長でした。相当な援助も頂きました。指導者も、菅野師範であり大友師範がついてきてくれました。そして地域浸透ということを意識していましたので、地元の県会議員とのパートナーシップを取ったのでした。
 当然、選挙も手伝うという事にもなって、泉区の今野先生へ足を運ぶという事が少なくなっていきました。そして、順調に極真空手の地域浸透がなされていったのでしたが、選挙を行うごとに、地域の議員とのズレを生じたのでした。そこで、いつの間にか、市会議員の渡辺博議員とのコレボレーションに傾いたのでした。考え方と姿勢が一致するがゆえに、道場運営には、意思疎通ができてとても良いパートナーシップを築いてくださるのです。
 そんな折、どこで、再び今野先生と接点を持つのか不思議なくらいなのですが、渡辺博先生と、今野先生との絆の関係により急接近できたことになります。さらに、市会議員と県会議員の選挙の日程が違う事により、手伝える時間が出来たという事で、再び今野先生を応援するという経緯になったのです。再び、元のさやに納まったような気がするのですが、それをわだかまりもなく、受け入れてくださる今野先生の人格の幅に感銘させられるのです。ここでの教訓は、一度信頼関係を固めたならば、人生最後まで絆を結び続けていくという事だということなのです。もちろん、疎遠になっただけの話かもしれないのですが、自分の生き様に違反するようなことはすまいと心に誓うのでした。
 今日の選挙に関しての戦いも、今野先生は鋭い指摘をしていました。今回の選挙も企業経営と同じな事であるというのです。かかる経費があり、その経費の中で一票を拾い上げていくのですから、なるべく少ない経費で多くの支持を頂くという事を意識してほしいという願いです。それだけではく、チェンジイメージを意識して、ポスターを新しく張り替えていくという大胆な戦略に出ました。再び、後援会を中心に人海戦術で貼り直そうとするのです。
 それだけではなく、総決起大会に向けて。会場の万全な借り上げを願われました。私が直接イズミティーに赴き、ことの詳細をチェックしてきて、報告しました。納得されて、さらに士気を高めて戦っていこうとする意欲が見受けられた今野先生でした。