2011年11月3日(八段語録1489)
積極的人生観(62) 県会議員選挙前日
仙台道場が立ち上がった時に応援してくれた県会議員の先生が今野先生でした。塚田さんの紹介で、当時の一番町に顔を出してくれたのが道場との付き合いでした。それ以前は、叔父の金森従之が同じ泉区の仙台市市会議員でしたので、付き合いがありました。しかし個人的には挨拶程度でした。ところが、道場設立後は、顧問をしてくださり、行政への架け橋と応援を一生懸命してくれたのでした。
仙台道場が創設されたのは、1996年12月でしたので、この頃からお手伝いということになります。最初は道場もゼロからの基盤でしたので、心強かったのを思い出します。道場は160坪ほど広く、百名ほどが稽古できるスペースでした。仙台道場では、安斎師範が指導するものの、誰も指導に入る人がいなかったのです。必要とされて指導員で入ったのでした。そこから、新規入会者の募集をかけ、さらに、稽古内容も、総本部時代の稽古内容を原点として、指導したものでした。最初に入門してくれた人は、極真空手に情熱を燃やしてなければ、稽古についてくることができないのです。道場のオーナーの知り合いが三十人ほど入門していましたが、私の指導で、結局は一人だけしか残らなかったのです。最後まで頑張った道場生は、クリーン帯まで昇級しましたが、それ以上は、厳しい稽古について来られなかったのです。
その時に、新しい風のように、予備校生の池田君や、赤門の柔道整復師を目指していた山崎君、高校生の次藤君が入門してきました。結局は、彼らの若き情熱に愛情を注ぎこんだのです。これらのメンバーが三弟子になって道場を引っ張ってくれました。女性では、山形大学に通う林さんが熱心に稽古に励んでくれました。安斎師範が指導するようになっていたのですが、週に一回から月に一回と郡山から出かけてくるわけですから、大変な思いをされていたようでした。そのようなことから、いつの間にか、全面的に指導に入るようになってきました。
一番町の仙台道場は、ゼロからのスタートでしたので、私のマネジメントが試される重要な期間となったのです。すぐさま入門手続きをスムーズにできるようにしました。新規は、街頭でのチラシ配布をベースにしました。それをカバーするかのように、電話帳の掲載も始めました。タウン誌にも載せるようにしました。月に十名の道場生入門を目標としました。春先になってからは、スムーズに入門者を増やしていきました。この時は、伝統も何も知らない人達が集まってきました。熱心に指導を受け止める人達か核になってきたのです。一般の人達をメインに進めていったのでした。
そのような思い出が浮かび上がっては消えていく中で、泉区高森の今野先生の事務所にて、加茂神社の宮司が必勝祈願をしてくださりました。私の対策選挙副本部長としての任命があり、決死の覚悟でこの選挙戦に臨むことを余儀なくされたのです。理由はあるのです。発展するごとに、陰ながら全面的に協力をしてくださったのでした。審査会の時は毎回出向いてくださり、交流を深めてくださったのです。このような思い出が去来するのです。