2011年10月30日(八段語録1485)

積極的人生観(58)
 カザン三日目

 ロシアでの指導者を前にして数納師範のデビューがありました。午前十時から稽古開始です。肩に力が入った指導です。それでも額に汗しながら、一生懸命の指導でした。私はというならば、事務所に閉じこもって、親父の事を考えていました。というのも、数納師範が持ってきていた中のビデオコレクションの「おくり人」の映画を見たのです。時たま申し訳なさそうに合間を見て数納師範の指導している様子を写真に収めたのです。昨日の夜、ホテルでの「おくり人」の映画は、ちょうど別荘で親父の通夜の前に、納棺をした様子そのものでした。親父の時も、納棺師が来てくれて、あの世への旅立ちの準備をしてくれたのでした。草鞋を履かせてもらい、六文銭を草鞋と足の間に入れて、最後は親父を化粧してくれていたのです。その内容がまさに、スクリーンに映し出された映画でした。
 昼食は、デニス・タチアナ夫妻が日本料理レストランに招待してくれました。外国の日本料理は、ほとんど中国人が経営していて、日本人が食事をするには、ちょっと違和感なのです。それでも、チャーハンと寿司とサラダを注文して、レゼダ夫婦とタチアナ夫人共に、楽しいひと時を持ったのです。その後は、通訳をしてくれた女性の事務所でお茶会ができました。彼女は、初めてカザンに来た時の観光案内をしてくれたのです。この事務所には、日本語を習っている数人の若者も来ていました。日本に半年ほど勉強をした女性も、東京周辺の写真をポスターにして、説明してくれたのです。
 夕方からは、明日の空手道選手権大会の会場で稽古です。数納師範と私の稽古が始まりました。稽古の対象は、指導者で、重厚な趣です。基本と移動の稽古をして、私のメニューは印象と思い出に残るインパクトがあるトレーニングになりました。腕だけで前進し、二人で競争する内容と、背中でエビのように前進する二人での競争する内容で終了したのでした。去年はアラン先生が来ていましたが、今年は、私達だけの指導となりました。それでも、楽しい海外での指導内容という事になりました。
 親父との会話を夜も続けようとするのです。会長との食事を早めに切り上げて、部屋に戻りました。親父の築いてくれた豊かさは、高校の時に人生について考える余裕のある家庭になりました。高校二年の時には、普通列車で上京です。何故か日本の中心、東京を見に行きたいという欲求に駆られました。高度成長を続ける首都をこの目で見たいという欲求が一つありました。この好奇心も学校を休んで行ってきました。この時は、担任の崔先生にも両親にも迷惑をかけてしまいました。後先を考えずに家出同然で出発したからでした。それでも楽しい思い出が残っているのです。
もう一つは、「愛と性」の問題です。この課題は、中学二年生に初めて表面化しました。新聞配達に朝起きるときに、パンツが濡れていたのです。理解することが最初はできなかったのです。ただ夢の中で気持ちが良かったことが印象に残っていたのです。また一か月もしないうちに同じ現象が現れたのです。ここから「性」についての悩みと追求が始まりました。
 この「性」ゆえに、クラブ活動の柔道に打ち込むのです。自然に湧き出る思いが「性欲」という事になったのです。県立図書館で医学書を読んでみたり、宝文堂書店で医学書を読んだり、刺激を受けるためにヌード写真を見たり、ちょっと「性」に惑わされる事態にハマったのです。肉体の中心部にもあるので、手で触ることもしばしばです。刺激もしたりするのです。その事自体に私の心は嫌悪感を生じるようになるのです。女性の裸体を思い浮かべることにもなりました。その事自体の研究が進むと、男女の性関係という所まで理解するようになりました。それを倫理道徳的に拒むのです。
 というのも、幼馴染の寺本さんとの会話がありました。決していやらしい思いをしてはいけないという動機からでした。当時、性教育はありませんでしたし、友達とそのような話をする機会もありませんでした。それを打ち消すためにクラブ活動の柔道と、受験勉強に集中しようとしたのは幸運でした。親父に相談しようとしたのですが、威厳がありこのような事を話すのは怖かったようです。まして、寺本さんにはそのような自分を悟られまいとする気持ちが生まれて会話の時間は僅かしか持たなかったのです。
 悶々とする期間が三年も続きました。良き思いを出来るだけ維持するように努力の跡が見ることができたのも、この時期なのです。青葉劇場に出かけて、サウンドオブミュージックに出会ったのです。この映画を見てシスターの駆け出しのマリアが、子供達を愛するシーンの数々とトラップ大佐等「愛に形」を見たわけです。もちろんトラップ家の長女の恋愛のシーンもありました。毎朝の起床は、サウンドトラック盤のドレミの歌が入っているレコードという事になったのです。その後映画は、来る度に見るようになっていました。
 「愛と性」が美しいもののように感じる自分がありました。そして、高校時代に出会った人が家庭教師の佐藤智子さんなのです。人生の師ということになるのです。私の勉強を見てくれました。僅か六ヶ月の期間でしたが、勉強の合間に人間としての在り方を教えてくれたのです。そこでの強烈な一言は、「自己完成を見ずしては決して男女関係を持ってはいけない」という事でした。この言葉を受け入れることに躊躇はありませんでした。何故ならば、そのように生きている佐藤智子さんを目の前にしていたからなのです。この人は、婚約をしていましたが、決して結婚する前に男女関係を持つという事をしないと話してくれました。そしてその時現在進行形の人でした。夫になろうとする人にも会う事ができました。そしてその言葉は真実に聞こえました。
 ここで平たく言うならば、結婚しても相応しい人格を作るための人生に出発したのです。性欲に対しては、修行僧のように決別するのです。もちろん、理想の男性を目指そうとするので、普通の坊さんのようではない自分がありました。念頭にもう既に幼馴染の寺本さんはいなくなったのです。迷いもなくなりました。だだし、熾烈な性欲との戦いが始まったのでした。