2011年10月28日(八段語録1483)

積極的人生観(56)
 カザンにて第一日目

 ホテルを八時に起床でした。一階のレストランで、三人で食事です。質素な食事ですが、カザンの食生活のようです。市内の見学へ指導員が連れてくれるという事で、カザンのクレムリンという場所に行きました。私達のお目当ては、イコンの壁画なのです。ガイドブックを見ると、モスクワに在ってカザンではないという事でした。がっかりしていた時に、モスクワと同じ名前の教会がクレムリンにあるという事でした。期待をしないで、大聖堂に中に入っていったのです。その大聖堂に入ると、イコンの壁画が、壁全体に広がって描かれていました。とてもきらびやかであり、金色に光っていました。スティーブ・ジョブが最初にマッキントッシュでデスクトップに表現されているのをアイコンというのですが、このイコンから来ているということです。ミニチュアのキリストの肖像画のイコンを購入しました。親父の供養になりそうな高貴なキリストの半身像でした。
 日本の十二月の気候なのです。カザンのメインストリートで昼食を取りました。ちょっと高級そうな店でしたが、ナショナルスープとサラダそして、チキンを頼みました。ふと亡くなった親父も、私と一緒にいるという気持ちがするのです。霊界に行くまでの訓練期間があるという和尚の話では、私を頼りにしていることになります。再臨協助という観点では、親父の理想が息子を通じて果たすという事で、いつも協力してくれることになります。目頭を熱くしながら、瞑想のひと時を過ごしているのでした。
 夕方六時からは、子供達の教室が待ち受けていました。小学生までの子供達が、元気に数納師範の指導を受けているのです。最後は一人ひとりと組手をして、楽しい指導を過ごしました。子供達との交流は何と言っても、心を清々しくしてくれます。最後は、外で待っていた父兄と一緒に記念写真を取るのです。豊かで濃密な愛情に包まれた時間が過ぎていきました。
 親父との断片的な思い出が、私の心のスクリーンに映し出されます。蒲生海岸が浮かび上がります。七北川が太平洋にそそぐ場所が、生き物が生息する湿地帯になっているのです。小さいころは、五月の陽気に誘われて、家族でアサリ貝を取りに出かけるのです。親父は、コツコツと黙々と、水の中の泥からアサリを取り出します。午前中、午後、夕方と米袋に入りきれないほど取るのです。側では母が、親父と歩調を合わせながらアサリを取り上げます。私達は、泳いだり、砂遊びをしたりするのです。リクレーションでありながら、両親は真剣なのです。そして、夕闇迫るころ家路に着くという楽しみ方でした。もちろん、取れたアサリは、野菜や米と物々交換をするのです。たまには、場所を変えて、野蒜海岸に出かけます。ここでも、朝から夕方まで黙々とアサリを取り続けるのです。夕闇迫る親父の横顔が浮かんできます。
 もう一つスクリーンに映し出されます。収穫を終えた田園に、家族で出かけます。お弁当持参です。昔は農薬を使っていなかったので、イナゴが良く取れたのです。米袋の中は、イナゴがうごめいているのです。夕方には、イナゴが土手に並んでいるのです。それを片っ端から捕まえたのでした。この時も親父が率先して収穫しました。この後家に帰ってから、お袋がお湯釜に入れて、私達とイナゴの羽根取りをするのです。収穫量が半端ではないので長い時間が過ぎていきます。この時は、親父はお酒を飲みながら疲れを癒しています。母は、夜なべ仕事になるのですが、一生懸命イナゴの佃煮を作っていました。
 また、家の前の河川敷の畑は、台風が来るたびに流されてしまいました。流された土を堤防岸に集めるのが親父と私の仕事でした。当時は上流にダムもなかったので、毎年行事でした。再び畑にするには、十日以上かかります。毎日の日課です。そして、貯め壺の人糞を溝に掘って丁寧に入れて、土をかけていきます。秋野菜が見事に取れたのでした。親父のスコップで土を上げるかけ声の「よいしょ」が耳から離れないのです。三つの余暇の過ごし方を思い出すのですが、全ては家計を支えることにつながったのです。
 親父とは、自然と親しんだ日々を過ごしたことになるのです。自然は、家族を温かく見守ってくれました。そして、質素倹約を重ねて、生活したのです。蓄積された財は、これからの私達の将来の為に、準備されました。下宿を営むための資金になり、子供達三人は大学まで卒業させてもらったのです。それだけではないのです。親父の後姿は、私の人生を歩むうえでのシグナルになりました。何かあった時に、親父から発せられる天の声になったのです。親父の姿勢から来る天の声は決して私の人生を過たなかったのです。素直な心で親父の後姿に共感し、私の人生の暗闇まで、照らしてくれたのでした。このような親父のコツコツとした人生の歩みが原因となって、今があるという事を自覚するのです。そしてこれからの未来は、私の親父と共に決めていくような気がするのです。
 このようにして、歩んできた親父の晩年は、「ありがとう」という言葉を口癖にする心優しい老人になっていました。その姿には、宇宙の力や、無限な英知と調和することができる姿勢が横たわっていたのです。老人ホームでは、あらゆるスタッフの人気の的であり、多くの恩恵を引付ける精神的な磁石になっていたのでした。